転がるイシあたま

医療系の雑談ブログです

痛くないお産

 ドラマでお産のシーンは「痛さの表現」になってしまうことがあります。荒い呼吸だか悲鳴だかわからないような演技が続いて、一瞬の静寂のあと「おぎゃー」のカタルシス。ありがちな演出です。
 ところでこの「陣痛」、一体どのくらいの痛さなんでしょう? 「痛さ」の客観的な評価はなかなか難しいし、個人によっての感受性も違うし、出産の場合はあらかじめ出産訓練を受けているかどうかでも相当違うし(「ラマーズ法」でそれは顕著です)、初産と二回目以降でも違いますが、それでもそのへんを研究した人がいて、「出産訓練を受けていない初産婦の陣痛」は「指を切断する痛み」に匹敵するのだそうです(*1)。これは悲鳴を上げたくなるのは当然。想像しただけで強烈ですが、それが何時間も続くとなると、気力も体力も相当消耗しそうです、というか、体験者の話を聞くと実際に消耗していますね。

*1)『痛くないお産 麻酔分娩がよ〜くわかる本 ──周産期専門の麻酔科医に聞く』奥富俊之 著、 メディカ出版、2005年、1000円(税別)

 なおこの本には「陣痛の痛みストレスでカテコールアミンががんがん分泌されることによって、母体や胎児の血流が悪影響を受ける。特に母親に高血圧や浮腫などがあるとその悪影響は顕著になる」「母性本能は遺伝子FosBに書き込んであってそれがプロラクチン分泌によって行動化される。母乳もプロラクチンによって生成される。ところが痛みストレスによってプロラクチンの分泌が減少する」と「陣痛のデメリット」が解説されています。
 この本で紹介されているのは主に「硬膜外麻酔」です。「硬膜外麻酔」と「脊椎麻酔(現在は「脊髄くも膜下麻酔」と呼ぶそうです)」との併用、という私が知らなかったテクニックも紹介されていました。

 私が硬膜外麻酔を実際にやっていたのは、麻酔科で集中的に研修を受けていた時で、その時は午前中には全身麻酔、午後に時間が空いていたら帝王切開に入ってそこで硬膜外麻酔をやってました。帝王切開では下腹部を切開しますから、できたら全身麻酔をしたいのですが、それをやっちゃうと赤ちゃんも寝てしまって「おぎゃー」が言えません。だから胎内の赤ちゃんは寝かさないように、でもお母さんの痛みは取って下腹部が安全に開けられるように硬膜外麻酔をしていました。それでも内臓痛は感じますから、赤ちゃんが出た後お母さんの希望があれば全身麻酔を追加していました。
 以前、私は脊椎穿刺が得意だった、と自慢そうに書いたことがあると思いますが、硬膜外の穿刺も、やっぱり自慢になりますが、上手い方でした。硬膜外穿刺に使う針は脊椎穿刺より太くて先が丸い分、針先の感触がわかりやすくて針先がどこにあって何を破っているかがしっかりわかったのです。
 しかし、それからほんの10年前には、硬膜外麻酔はまだ“ポピュラー”ではありませんでした。「無痛分娩」で用いられていたのは「ラボナ錠・セコパール錠、オピスタン・クロールプロマジンなどの注射、吸入麻酔(トリクロール、エチレン、笑気)、陰部神経浸潤麻酔、キドル麻酔法(脊椎麻酔)」でした(*2)。

*2)『30歳前後の初産と無痛分娩』宮下祥 著、 日本文芸社、1970年、500円

 「無痛分娩」の歴史は、これよりさらに100年以上遡ります。1847年からイギリスでエーテルやクロロホルムによる全身麻酔が始まり、それはすぐに分娩に応用されました。特に有名な“症例”はヴィクトリア女王です。1853年と1857年にジョン・スノウが、ヴィクトリア女王にクロロホルム麻酔を用いて無痛分娩をおこないました(53年はレオポルド王子、57年はベアトリチェ王女)。その“広告効果”によって無痛分娩は世界に広まります。
 これは「女王もするのなら私も」という、一種の“広告塔”として女王が使われた、とも言えるでしょう。明治天皇が、肉を食ったり牛乳を飲んだり洋服を着たりしたことを報道させて「文明開化」を“宣伝”したことも私は思い出します。王族や皇族をやるのには、庶民にはわからない大変さがありそうです。

 興味深いのは「無痛分娩否定論」が世間にけっこう根強くあることです。「お腹を痛めた子供でなければ,意味がない」ということなのかな、と私は思いますが、これが行きすぎると「養子や安産で生まれた子の否定」になったり、極端に行くと「帝王切開も無麻酔でやれ」になりはしないか、と私は首を傾げています。「無痛分娩肯定論者」は「陣痛否定」は行わないのに、その逆はある、というのはこれはもしかしたら「イデオロギー」の話になっている、ということかな。

関心高まる「無痛分娩」 下半身麻酔で陣痛を軽減」(東京新聞)

 「不自然なお産否定論者」が噛みつきそうなニュースですが、私から見たら「選択肢があるのは良いことだ」となります。というか、ず〜〜っと昔からやっていることなんだけど、今ごろになってやっとニュースで取り上げられるようになった、ということで、「ニュース」ってちっとも「ニュー」じゃないことでもネタにするんですね。
 ちなみに、どんなことにも「メリット」と「デメリット」はあるので、無批判無分別に「無痛分娩」を肯定するのも否定するのもやめた方が良いです。「麻酔による無痛分娩」にはたとえば「麻酔事故」「コスト」といったデメリットがあります。ただ、「無痛分娩」のメリットである「無痛」を裏返したらそのまま「自然分娩」の「デメリット」になるわけで、「自分が何を人生で重視するか」を根拠として「自己決定」することをオススメします。「頭」は「自分の人生に関する決定」をするためにも存在しているんでしょ?


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意味不明の問い合わせ

 いつもの、私が経験したことをベースにフィクション化したお話です。固有名詞が実在の組織のものに似ていたとしても、それは偶然の一致です。

 私は日常的に「入院証明書」を書いています。目標は「事務から書類を受け取ってから1週間以内に完成」としていますし、もし退院前に書類を渡されたら「退院日にきちんと処理済みの証明書を持って帰ってもらうこと」も目標にしています。さすがに先日の「退院する日の朝に渡された」場合は「退院する時刻までに間に合わせる」は無理でしたが。せめて2〜3日前に渡していてくれたら、何とかなったかもしれないのですが。
 で、私が勤務する病院の事務は優秀で、私が書き間違えたところなどはきちんと指摘してくれるので、退院していった患者さんに迷惑を掛けることはまずないのですが、その書類に関して時に生命保険会社からわけのわからない問い合わせが来ることがあります。
 たとえば「患者のαさんをそちらに紹介してきた前医であるκ病院の住所と電話番号を教えて下さい」とか。「馬鹿じゃないか?」とそのとき私は小さく呟きました。たとえばあなたが「κ病院の住所と電話番号」を知りたいとして、それで「ν病院の医者に問い合わせの電話」をします? いや、κ病院はもとの国立病院で、電話帳でもネットでも簡単に所在はわかるんですけど。
 おっと、訂正します。「馬鹿じゃないか?」ではなくて「馬鹿だ(淡々と)」で良いでしょう。そもそもαさんは、こちらだけではなくてこちらの直前に入院していたκ病院にも「入院証明書を書いて下さい」と依頼を出しているはずです。それらの証明書を並べてみたらどこに入っていたかの「入院の流れ」は一目瞭然なんですけど。

 昭和の時代に、よく問い合わせをして来たのは、郵便局の簡保でした。田舎では金融機関といったら農協か郵便局ですから、入院証明の多くは簡保になってしまいます。で、私が書いた簡保の入院証明書の中で確実に一定の割合で「入院治療に関する詳細情報の照会」が京都からやって来ていました。特に支払金額が高いものにその割合が高かったような印象を私は持っています。私は嘘は書きませんから、「同じことしか書けないぞ」と退院時に書いたのと同じことをがしがし手書きをして送り返すと、しばらく経って外来で患者さんが「先生ありがとうございました。おかげで保険金が下りました」と。
 これって、支払いを少しでも遅らせるための、遅延作戦だったのかな? すぐ払うのではなくて、書類のやり取りをしていれば、少なくともその時間はお金を動かさずにすみますから。

 最近はそんな「作戦」にはほとんどお目にかからなくなっていて嬉しかったのですが、先日は全労済から変な問い合わせがやって来ました。
 1年前に入院治療をしたβさんの現在の状態を知らせろ、という書類を送ってきたのです。赤十字から紹介があって治療をして、退院後はまた赤十字の外来に帰って頂いたので、私は退院後の1年間βさんの姿を見ていません。だから「今の状態は知らない。知りたければ赤十字の○○先生に問い合わせをしてくれ。どうしてもこちらに書けというなら、1年前の退院時の状態についてしか書けないがそれで良いのか?」と問い合わせの電話をしてもらうと「どうしても書いてくれ」と。
 しかし、退院時に「退院時の状態」について入院証明書にもう書いてますよ。「1年前の状態(それもすでに全労済に通知済みのもの)」をまたがしがし(じゃなくて、キーボードをかちかちさせて)書くことにどんな意味が? 少なくとも私には「書くための手間」がかかるだけで、何のメリットもありませんし、全労済にも何のメリットがあるのかわかりません。
 金を払わない(利息を稼ぐ)ための時間稼ぎにしては、今はマイナス金利の時代だから、まったく意味がないでしょう。
 まさか、何かいちゃもんをつけて保険金そのものを払わないための口実探し? それにしては1年後というのは起動が遅すぎますし「1年前と同じ内容で良い」のだったら「口実」にもなりません。
 少なくともこの書類で病院にはいくらかの料金が入ります。だけどそれは結局保険に入っている人たちが負担することになるわけ。企業として大丈夫なのか?なんてことを私は思ってしまいました。私個人はここの保険には入っていないから、個人的にはそれ以上追究する気はありませんが。


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喋る人形

  シャーロック・ホームズに『踊る人形』という作品がありますが、今日は『喋る人形』の話です。でもその前に、私の子供時代の思い出話を。
 私の幼児期に、女の子に人気だったのが「ミルクのみ人形」でした。単なる人形ではなくて、小さなほ乳瓶に水を入れて人形の口から飲ませることができる、というものです。ついでですが、飲んだ水はそのまま「おしっこ」として下から排出されます。ある意味“リアル”な赤ん坊人形だと言えます。どうして女の子がそんなものに夢中になるのか、私にはわかりませんでしたけれどね。いや、生きている赤ん坊の方がかまっていて面白いでしょ? 泣かれると厄介ですが。
 そういえば、寝かせると閉眼して体を起こすと開眼する、という人形もありましたが、これ、ミルクも飲んだかどうかの記憶はありません。

 何年前だったかな、「シニア向けのお人形」が発売されました。話しかけるとトンチンカンな返事をしたり「あそんであそんで」とせがんだり突然歌を歌い出したりするもので、私はやはり何がかわいいんだろう、としか思いませんでしたが、ファンの人には可愛くて堪らないもののようです。
 で、可愛がっている姿を見ていると、「自分の愛着」が「現実の姿」となっていることを確認して安心を得ている、といったように私には感じられました。人工無能以前のレベルではありますが、話しかけると何か反応があるわけで、その「反応」から「自分はまだ生きている」と感じることができるのかもしれません。
 ところで「反応」の点で、このお人形は「きわめて良い子」です。本物の子供のように、わがままを言ったりだだをこねたり泣きわめいたりしません。ひたすら静かで従順で穏やかです。そこから感じる幸福感は「静的な喜び」と言えるでしょう。だけど、赤ちゃんが泣いていて「どうしたんだろう?」といろいろ探ってみて「ああ、お腹が空いていたんだ」とか「オムツが濡れていたんだね」とか「問題が解決した瞬間」に親が感じるものは「動的な喜び」と言えません? そんな「動的な喜びを感じさせてくれるお人形」は作れないかなあ。
 たとえばシニアのため、ではなくて、子育ての訓練のため、なんてのはどうでしょう。AIを搭載して、「ミルクを飲む」「おしっこをする」「泣きわめく」「熱を出す」なんて機能をアトランダムに発生させる(そして、たとえば泣いた原因がおしっこだったら、おむつを替えてやったら機嫌が良くなる)お人形だったら、子育て(「あやす」とか「おむつ交換」)を“実戦”練習したい人にはもってこいだし、実際に子育てがある程度進んだら、こんどはその子の玩具にする、という手がありそうです。どのくらい売れるかはわかりませんが、メーカーの皆さん、このアイデアはいかが?


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「東北で良かった」の底に潜む一般論

二階氏「マスコミはすぐ首取れと」 今村氏辞任で批判」(日本経済新聞)
 今村さんが大臣を更迭されたのはマスコミのせいだ、という意味でしょうか。
 意味がわかりません。
 今村さんの発言が大きな問題なのは、マスコミのせいではなくて、発言のせいです。

》間違ったことを言う人の資質の問題だ」とも指摘した。

 ここでさらに問題なのは「個人の資質」だけではなくて「そんな個人を組織として擁護」してきたこともあるでしょう。だけど幹事長としては「マスコミが悪い、今村が悪い(=おれは悪くない)」と言ったんだな、というのが私の感想です。

 ついでですが「東北で良かった」がこれだけ日本中で問題になるのは「みんな東北が好きだから」ではありません。あの発言は「新潟で良かった」「熊本で良かった」「沖縄で良かった」などと「一般化」が可能であることを即座に感じることができたから、あれだけの反発が生じているのです。“えらい政治家”さんたちは、安倍さんと東京と自分の選挙区だけを見つめているのではなくて、もうちょっと視野を広げた方が良いのでは?


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「東北差別党」の党首?

復興相「東北でよかった」ノーカット動画」(日テレnews24/2017年4月25日 20:17)
 この動画を見ると、問題発言の前にスライド画面を見て「これじゃないでしょ」なんて担当者に言ってますが、その口調と姿はなんとも「傲慢がネクタイを締めている」もので、2ページ目のスライドに切り替えさせてから「あ、いいんだいいんだ。さっきのやつ」ですから、傲慢なだけではなくて、自分が講演で何をどう喋るのかの構成さえきちんと把握できていない、という能力不足(と準備不足)も私は感じました。5分で話せる内容を「時間の関係で」と言いながらだらだらと16分間喋ってしまう点にも能力不足(と準備不足)は感じましたが。「酒場でおだを挙げているおっさん」をやるには十分な能力ですけどね。
 しかし、秘書官は大変な思いをしていることでしょう。今回の講演も秘書が資料などを全部準備して、本人はブリーフィングもろくに聞かずに「わかったわかった、適当に喋るから」で、“適当”に混ぜたアドリブに「真意」が出たのだろう、が私の推測です。

今村復興相が辞任の意向 “震災発言”謝罪」(日テレnews24/2017年4月25日 22:15)
 「大臣辞任は自己責任だろ」と本人以外の多くの人は思っているのではないかしら。
 しかし、ここまで東北人差別意識が強固な人は、国会議員にも向いていないと私は思います。だって「国会」が扱う「国」には「東北」も含まれているでしょ? どうしても国会議員を続けるのなら、「東北差別党」でも結成してその党首におさまったら? もっとも、党を運営できるだけの力があるかどうかは疑問ですが。


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勝負はこれからかも

日経平均は大幅続伸、仏大統領選で波乱なく買い戻し」(Reuters)
》23日に実施されたフランス大統領選第1回投票が大方の予想通りの無難な結果に終わり、市場に安心感が広がった。

 安心感はけっこうですが、「トランプ」の前例もあることですし、日本には「勝負は下駄を履くまでわからない」なんて古い言葉もありますよね。そんなに簡単に一喜一憂はしない方が良いのではないかな? 政治家が安易に使う「緊張感を持って事態の推移を注視する」という決まり文句は、こういった場合にこそ使うものでは?


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体内の大中小

 普通の日本語で「大中小」と並べたら、大きさの順で一番大きいのが「大」、次が「中」、一番大きくない(小さい)のが「小」です(我ながら、実に当たり前のことを言っています)。「学」の場合には大と中の間に「高」が入り込みますが(「大学」「高校」「中学」「小学」)“異物”であることを意識しているのか「高等学校」「高校」とは言いますが「高学」とは言いません。おっと、「大学に行く」「中学に通う」などと普通に言うけれど「小学」とはあまり言わず学校を示す場合は「小学校」ですね。なぜだろう。
 人体内にも「大中小」があります。「臀筋」には大臀筋・中臀筋・小臀筋があります。解剖学の授業と実習はもう40年以上前のことなので記憶は濃霧と漆黒の闇の彼方ですが、たしか筋肉の大きさもこの名前の順番通りだったはず。ちなみに高臀筋はありません。「胸筋」にも「大」と「小」があります(もちろん名前は「大胸筋」と「小胸筋」です)が、残念ながら「中」は(「高」も)ありません。そうそう「大円筋」「小円筋」や「大頬骨筋」「小頬骨筋」、「大菱形筋」「小菱形筋」、「大後頭直筋」「小後頭直筋」、「大腰筋」「小腰筋」、「大内転筋」「小内転筋」なんてものもございます。さらに「大」「小」だけに注目したら、「大腿なんちゃら筋」とか「小指なんちゃら筋」「小趾なんちゃら筋」なんてものもありますが、これは「中」どころか「大小のセット」にもならないので、ここでは無視することにします。

 実は「脳」にも「大中小」があります。「大脳」「中脳」「小脳」です。「大脳」は文字通り「大きな脳」で、世間一般に「脳みそ」と言ったら多くの人が思い浮かべる部分です。「小脳」は大脳の後ろの下側に目立たない形でちょこんとくっついています。明らかに「大脳より小さい」から「小脳」なんでしょう。……では、中脳は? これがねえ、大きさで言ったら小脳よりも小さいんです。しかも脳の模型では表からは見えない奥まったところにひっそりと棲息しています。これでなんで「中」なんだ?と思いますが、おそらく「大脳と小脳の中間に位置するから」といった理由から名付けられたんじゃないかな、なんてことを私は思っています。
 中脳で重要なのは、動眼神経核がここに存在することです。だからここに脳卒中などが起きると、たとえば眼瞼下垂(まぶたが垂れ下がって開けにくくなる)や眼球の運動障害が発生することがあります。これ、生活に不便なんですよね。見た目にも影響が出ますし。たとえ「『小』よりも小さい『中』」であっても、やはり重要な「脳」でした。


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未来への伝言

 私は(というか、日本の医者のほとんどは)、患者さんが入院してきたら入院時に「主訴」「現病歴(発症から入院に至る症状の流れ)」「既往歴(過去の病歴)」「家族歴」「アレルギーなどの要注意事項」などをまとめて書きます。これはけっこう熱心に書きます。これからの診療方針の基礎になるデータですから。そして退院時には「退院サマリー」を書きます(というか、書かなければならない、と厚生労働省や病院機能評価機構が定めています)。ところがこちらにはあまり熱心に取り組む気にはなれません。だってもう「すんだ話」ですもの。別にしっかり書かなくても入院中の記録があればそこから再構成できますもの。……とちまちま言い訳をしていますが、要は「退院をした患者」とは「もう自分の受け持ちではない患者」ですから、そこで何かを書くモチベーションが下がってしまっているんですよね。
 私は退院前(退院予定がわかっていれば、退院日の2日前)に退院サマリーの初稿を書き上げるようにしています。月に1回は患者さんと家族の人にきちんと経過のまとめを説明してその原稿を残してあるし、入院が長い人の場合は入院3箇月の中間サマリーもあるから、それらにちょちょいと手を加えたらそれほどの時間はかかりません。で、初稿を書いてから2日でなにか変化があったら細かく修正を加えます。なぜ退院前かと言えば、退院後だとモチベーションが下がるからです。病院機能評価機構では「退院後2週間以内に退院時要約を」と求めていますが、私の場合は「退院時にほぼ100%退院時要約が書いてありまっせ」と主張できます(「ほぼ」がつくのは、急変で緊急転院をした場合にはどうしても「退院後」に書くことになるからです)。
 ではどうして退院サマリーを100%書くかといったら、それはまず紹介状や入院証明書のためです。経過がきちんと概観できたら、紹介状も入院証明書も書きやすい(それらを書く時間的余裕も見て「2日前」です)。また、自分のためでもあります。一度退院した人がもう私と二度と緣を持たないのだったら良いのですが、不幸なことに病気が再発したり別の病気になって再入院してくることがあります。そのとき「どんな人だったっけ?」と記憶を探るよりも、記録を見る方がよほど確か(私の記憶はアテにならないことがよくあるのです)。そんなとき、退院サマリーがきちんと書いてあったら、それに刺激されて記憶もずるずるといろいろ出てくることがあります。
 ということで、退院サマリーは、未来の私への伝言でもあるのです。自分のためなら、熱心に書かざるを得ないでしょ?

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文字通り(3-23)「子」

「子供」……子のお供、つまり親のこと
「年寄り子」……年寄りのような子、または子のような年寄り
「子捕ろ子捕ろ」……誘拐ゲーム
「子宮」……子供のための宮殿
「蔭子」……日蔭にいる子
「子偏」……子に偏重している態度
「出し子」「受け子」「掛け子」……仲間内だけでやっていればいいのにね
「子持ち昆布」……胎生の昆布
「老子」……老いた子
「荀子」……筍の子
「孔子」……孔のあいた子
「子曰く」……子供の宣言
「帽子」……有帽の子
「腹子」……「鮞」になると字数が減る代わりに読みの「ら」と「゛」が増える
「年寄りっ子は三文安い」……核家族礼賛の主張
「よい子だから静かにしてね」……騒ぐお前は悪い子、という断言


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「廃炉」とは「原子炉を解体すること」だけではありません

廃炉、次は解体技術確立 三菱重工など連携探る」(日本経済新聞 2017/4/19 20:14)
》課題はまず、原子炉など放射性物質に汚染された機器の解体・撤去への技術の蓄積だ。国内では商用原発で廃炉を終えた例はなく、電力会社は技術やノウハウの獲得を狙って連携を模索する。
》総費用は1800億円ほどと見積もっており、うち1600億円程度はすでに引き当てた。しかし、20~30年にわたる困難な作業で、費用が上振れする恐れもある。
》最大の課題は解体で出る廃棄物の処分先だ。4原発5基の廃炉で生じる廃棄物は計約2万7千トンに上る。処分先探しで周辺の自治体との交渉で難航が予想される。
》処分法が定まらないことも課題だ。

 要するに「廃炉は未経験」「国内で廃炉の技術は未確立」「廃炉で出る廃棄物の行き先は不明」「廃棄物の処分法法は未定」……って、「そんな状態で、本当に廃炉を実行できるの?」「そもそも廃炉を実行する気が最初からあるの?」と言いたくなります。
 まるで「受験勉強をすることは決めた。さあ頑張るぞ。でも、どの科目をどこでどのくらい勉強するかはこれからの課題だ。そもそもどこを受験するかもまだ未定だ」と言っている“自称受験生”を眺めている親の気分です。具体的な勉強のプランは未定? 塾に行くのだったらどのくらいのお金を用意しておけば良い? だけど「受験」以前に、受験する目的、人生の将来設計はどうなっているんだ? そもそも本当に受験する気があるのか? と言いたくなりません?

玄海・敦賀など4原発5基の廃炉計画を認可 規制委」(朝日新聞 2017年4月19日11時40分)にはこんな文言があります。
》原子炉や配管など大量の廃棄物の処分先は「廃炉が終わるまでに」決めるとしている。

 これ、話が逆でしょう。「大量の放射性廃棄物の処分」についてきちんと確定しなければ「廃炉」は終わりません。まさか「原子炉の解体(物理的に使えなくすること)」だけが「廃炉」だと電力会社や規制委は形式的に認識しています? 私は言葉遊びで「文字通り」をよくやりますが、その言葉遊びを「廃炉」でやってもらっては困ります。
 「『受験』とは『試験を受けること』だ。だから、受験会場に行って答案用紙に名前を書いたら、それで『受験』は完了する」と主張する“自称受験生”を眺めている親の気分です。「受験会場」のその“先”まで含めての「受験」、が私の認識なんですが。「人生は形式だ」ではないでしょ?

 まさか、「同じことをずっと言い続けていたら根負けした人は黙るだろうし、もしかしたら『あれだけ言い続けているんだから、真実なんだろう』なんて信じてくれる人が発生するかもしれない。そこで沈黙に切り替えたら、問題をうやむやにできる」なんて期待しているんじゃないでしょうね? それとも、まさかそれこそそんなことはないとは思いますが、もしかして、口先だけ「廃炉」にする、と言い続けていればその内に「白馬に乗った王子様」が「技術」や「お金」や「処分場」を持ってやって来てくれる、とでも思っている?
 なお、「無責任な部外者は黙っていろ」と言いたい人がいるかもしれませんが、あいにく私は“部外者”ではありません。税金や電力料金で廃炉の費用を負担する“関係者”ですし、もしかしたら自分が関係する土地が処分場になる可能性もあるから、廃炉についてあまりに露骨にいい加減な態度や、利権に群がる“誰かのお友達”などに大盤振る舞いしようとする態度は許せない、だから黙らないぞと思っているだけです。


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