転がるイシあたま

医療系の雑談ブログです

花金プラスアルファ

「月末の金曜、仕事は午後3時まで」 実施を前にPR」(朝日新聞)

 2月から「プレミアムフライデー」という「月末の金曜日に仕事を午後3時で切り上げる」制度が始まるそうです。「花金」にさらに付加価値がつけられることになるわけです。
 ところで、この「プレミアムフライデー」の“恩恵”を被るサラリーマンはどのくらい日本にいるのでしょう。最低条件としてはとりあえず「週休二日制で休みが土日である、という条件をクリアする(=すでに花金の恩恵を被っている)正規雇用者」ということになりそうです。
 「週休二日制」といっても、休みが土日とは限りません。たとえば病院勤務者でそういった条件を満たす人は……少なくとも私が勤務する病院ではほぼいない、と言って良いです。「交代制で24時間365日営業」が基本ですから。交通機関・警察・消防救急・海上保安庁・自衛隊・学校・商業施設(特に「プレミアムフライデー」でどこかに繰り出そう、とする人を受け入れるところ)・運送・マスコミなどもまず無理ですよね。銀行も15時に窓口を閉めますが、窓口を閉めてから金のチェックが必要ですから、「金曜だけ午後3時に仕事を終える」はちょっと無理そう。
 まあ、それでも、正規雇用者の7割は「プレミアムフライデー」で大喜び、としましょう(「7割」は話を始めるために適当に置きました。違う数字が好きな人は以後その数字で私の計算を置き換えてください)。
 ところで、労働者全体で正規雇用者は6割くらい。ということは、6かける7で、プレミアムフライデーの恩恵を享受できる労働者は全体の4割、ということになります。で、そこにさらに「ブラック企業ではない割合」と「午後3時にちゃんと仕事を終わらせることができた人の割合」と「(子供を迎えに行ったりの)他に優先する用事のない人の割合」などをかける必要があります。さて、実際にはどのくらいの人が3時に帰って「さあ、楽しむぞ」と言えるのかなあ。3%くらい?
 育児や介護や自分の通院をしたい人にとっては嬉しい制度でしょうけれど、それだったら月に1回ではなくて毎週欲しいんじゃないかしら。それと、銀行に行きたい人にとっては、午後2時半の方がもっと嬉しいんじゃないかな。いっそけちけちせずに昔懐かしい「半ドン」にしたらどうでしょう。昔は「土曜半ドン」が普通にできたのですから、今「金曜半ドン」だってできるんじゃないです?


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百人一首連想(99)後鳥羽院

「人も愛(を)し 人も恨めし あじきなく 世を思ふゆゑに もの思ふ身は」後鳥羽院

 百人一首の撰者、定家にとっては特別な人の登場です。和歌の世界を変革しようとあがいていた定家の才能を愛しパトロンとしてあるいは和歌の弟子となって定家を引き立ててくれた後鳥羽院ですが、承久の乱の直前に定家と不仲となり、そして乱の後鎌倉幕府によって隠岐に流されてしまって都に二度と帰ることはありませんでした。
 「治天ノ君」から見たら、世界を支配するときに、「人(自分が支配する人々)」は、愛しいと同時に恨めしい(憎らしい)存在だったようです。もちろん「人」は“一般論”でしょうが、もしかしたら定家は「個人としての自分自身」をそこに重ねていたのかもしれないと私は想像しています。定家は後鳥羽院に「愛憎」両方を抱いていたはずです。そしてそれは後鳥羽院も同様だったのではないか、と定家は想像していたのではないでしょうか。つまりこの歌は、後鳥羽院と藤原定家の間の“双方向のラブレター”として定家には機能してるものだったのかもしれません。

 後鳥羽院は、相撲・弓・競馬・囲碁・将棋・双六など「勝負事」が大好きで、和歌でも「真剣勝負」を盛んに行いました。歌合(うたあわせ)です(お題を出して、そのお題を詠んだ和歌二つの優劣を競う勝負です)。後鳥羽院はそこに自らプレイヤーとして参加しましたが、これ、他の参加者、特に判者(審判)には困ったことになります。
 当時は身分社会。身分社会と実力勝負の両立にはなかなかきわどい操作を必要とします。本来実力主義の武家であっても、身分の差は大きくものを言います。まして身分絶対の公家社会で、最高権力者に対して「あんたの歌はつまらん、負け」なんてことを平気で言う行為は「禁忌」です。ところが後鳥羽院は「自分の歌が常に自動的に勝ちになる」ことに飽き足らず(だって「実力主義」なのですから)、ときに「匿名の歌合」を開催しました。「匿名」ですから作者を隠して歌が詠み上げられ、歌の優劣を決定したあとになって作者名が公開されました。つまり判者は「歌の優劣を間違いなくきちんと決める」ことに苦心しなければならないのと同時に、「後鳥羽院の歌を負けにする可能性」とも戦わなければならなかったのです。胃に穴が開くような思いだったことでしょう(実際に定家は匿名歌合の判者をやった日の日記に「後鳥羽院の歌に負けをつけずにすんで本当にほっとした」なんてことを書いています)。
 新古今和歌集(後鳥羽院の勅撰和歌集)に収められた「奥山の おどろが下も 踏み分けて 道ある世ぞと 人に知らせん」のような歌ばかりだったら、たとえ匿名でも「あ、これは院の歌だ」とわかりやすくて良いのですが。これならいかにも「支配者の歌」ですから。

 後鳥羽院は「治天ノ君」という自負を持っていました。「自分は世界の支配者だ」です。だからこそ「実力主義」で自分の実力を示そうともします。実力がすべてで血統はその正統性の裏付けに過ぎない、という
考え方だったのかもしれません。しかし時代は鎌倉時代。後鳥羽院の支配力は「公家の世界」に限定され、日本全土には及びません。
 この「自負と現実のギャップ」が「あじきなく」になり、さらに行動としての承久の乱につながっていったのでしょう。となると99番の歌の「人」には、後鳥羽院自身も含まれているのかもしれません。自分自身に対する愛憎(自負と物足りなさのギャップ)です。

 この後鳥羽院の歌とスケール感が似ているのは、百人一首95番「おほけなく 憂き世の民に おほふかな わが立つ杣に すみ染の袖」(慈円)です。慈円は『愚管抄』という歴史書も著していますが、慈円にとって「承久の乱」は「上ノ御トガ(=後鳥羽院の罪)」でした。歴史の“判者”としての慈円から見て、承久の乱に関して後鳥羽院は「敗者」だったのです。こういうことが平気で言えるのは、社会からドロップアウトすることを選んだ「出家」の強みですね。


参考図書:
新古今集 後鳥羽院と定家の時代』田渕句美子 著、 角川書店(角川選書481)、2010年、1800円(税別)
敗者の日本史(6)承久の乱と後鳥羽院』関幸彦 著、 吉川弘文館、2012年、2600円(税別)



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情報共有

 いつもの、私が経験したことを個人情報がわからないようにフィクション化したお話です。

 日課の朝の回診をしていると、私が担当している入院患者の甲さんがいつもと違ってちょっと眠そうな顔をしています。「昨夜は眠れませんでしたか?」と尋ねると、カーテンで仕切られた隣のベッドから「ごめんごめん、俺のせいだ」と大きな声が。隣のベッドに入院している乙さんが、昨夜歯痛で痛み止めを深夜帯にもらっていて、その人の動きで甲さんも起きてしまった、ということなのだそうです。カーテン越しでは話が遠く感じるので隙間から顔を突っ込んでみたら、乙さんの顔が腫れています。聞くと、主治医がもう来て、歯科に紹介する、ということに話がまとまっている、とのこと。往診してくれる歯科もあるのですが、かかりつけに行きたいということで娘さんに「受診に付き添ってくれ」と乙さんが電話して、そのかかりつけ歯科宛てに主治医が今紹介状を書いている、とのことでした。
 こうなると私の出番は全然ないわけで、甲さんに「今日昼寝をたっぷりすると、今晩不眠になるかもしれないから、ほどほどにね」と言って甲さんの回診を終えました。甲さんの回診、というより、甲さんと乙さんと世間話をした、という方が正確かもしれませんが。

 それから数時間後、別件をすませて病棟廊下を歩いていて甲さん(と乙さん)の病室の前を通りかかったら中から聞き慣れない怒鳴り声が聞こえます。好奇心が私を駆動して部屋に首を突っ込んでみると、カーテンが開いた乙さんのベッドの脇で男性が部屋を掃除していたスタッフを怒鳴りつけている最中です。その言い分は「乙さんがどこに行ったのか知らないとは、この病院内の情報共有はどうなっているんだ!」。
 なるほど。全入院患者に関する全情報を、病棟の全スタッフは知っておいて、面会者から質問があったら即答できるべきだ、という主張のようです。
 聞くと、乙さんの息子さんで、たまたま時間が空いたので面会に来たら、病室にも病棟のどこにもいない。電話も通じない。一体どこに行ったんだ?ということのようです。
 私はたまたま乙さんの行方を知っていたから、早速教えてあげましたが、「知っているんだったら、あらかじめ自分にも教えておくべきだ。おかげで無駄足を踏んだじゃないか!」と私にまで文句です。
 ……はあ、乙さんは娘さんに電話をしましたが、そのとき私が息子さんに電話して「これこれしかじか」と説明をしておくべきだった、ということのようです。
 「病院内の情報共有」というとすごく立派な言葉です。たしかに病棟内の全スタッフが全入院患者に関する全情報をリアルタイムで把握・共有できたらとっても素敵ですが、現実問題としてそれは理想論を言っているだけにしか思えません(理想ではなくて現実としてできる、という人は、実際に私の目の前でやってみてください。あら探しをいくらでもやってさし上げますよ)。
 ……というか、これは「病院内の情報共有」の問題というより「家族間の情報共有」の問題ではないです? 
 乙さんからも娘さんからも連絡を受けなかったのは、息子さんの問題のような気がするのですが。

 この騒ぎで良いこともありました。甲さんは昼寝中で熟睡をしていたのですが、怒鳴り声で目が覚めてしまったのです。そのおかげか、その夜はちゃんと眠れました。どんなことにも何か“収穫”はあるようです。


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ノロウイルスはどこから?

ノロウイルス検出 和歌山の集団食中毒は給食原因と断定」(NHK)

 おそらく2015年に発見された「新型ノロウイルス」かな、と思いますが、それはこれから発表されるでしょう。
 問題は、どこからそのウイルスが給食センターに持ち込まれたのか、です。
 ノロウイルス感染症の感染経路は3つあります。

1)人→人(人の吐物などから直接別の人に感染する)
2)人→食品→人
3)食品→人

 今回は「給食」が原因の集団食中毒なので1)は外して、2)か3)ということになります。どこが違うかというと、2)の場合は、給食センターに持ち込まれた食品は「無罪」で、持ち込まれてから誰か(保菌者かすでに発病していた人)によって汚染されています。しかし3)の場合は、持ち込まれた時点ですでにノロウイルスを含んでいて加熱が不十分だったりしたため感染が発生した、ということになります。
 で、冷凍されて保存されている食事の分析で「この料理が“犯人”だ!」と特定できてさらに原因の可能性が高い食材が絞り込まれても、そこで2)か3)かをきちんとしないと、見当外れの“犯人”を責めておしまい、になる可能性があります。
 いつかの「o-157 カイワレ」のときと似た騒ぎ(私はあれは完全に“冤罪”だと思っています)にならないことを願います。

 そうそう、もし今回の真相が2)だったとしても、“感染源”となった個人を責めておしまい、では駄目ですよ。体調が悪いときにはさっさと休むように制度を作っておくのが施設管理者の責務だし、それで休んでも責められないように職場風土を整備しておかなきゃ、また同じことが繰り返されます。つまり2)の場合には“真犯人”は実は給食センター(の管理者)かもしれません。

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受話器

 私は公衆電話や黒電話で育ったので、「電話」と言ったら昔懐かしい“あの受話器の形”を思い起こします。しかし私よりも1〜2世代前の人は、壁に取り付けられていてかける時にハンドルをぐるぐる回す電話機の方を思い出すかもしれません。
 どちらにしても「古い電話」は、「耳」と「口」に装置がそれぞれ寄り添うように設計されていました。
 携帯電話も、折りたたみのものはまだその発想を維持しようとしていましたが、スマートフォンになると真っ平ら。これで電話をするのは、私にはどうも不自然な(機械に人体が合わせようと努力している)感じがして仕方ありません。
 ポケットやバッグにしまうときには真っ平らで、電話をするときだけくるんと顔に沿って形状を変えてくれるスマホがあったら、電話のときの不自然感は減るかもしれませんが、形状記憶合金でなんとかなりませんかねえ。基板やバッテリーのストレスはすごいことになるかもしれませんが。
 「スピーカーホンかマイク付きのイヤホンを使え」と言われたら、それまででした?


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韓国の不思議な司法判断

対馬で盗まれた仏像「韓国の寺に所有権」 韓国で判決」(朝日新聞)

 「窃盗行為」を裁判所が正当化する、というのは法治国家のやり口ではないなあ、というのが私の第一印象です。それとも韓国の刑法や民法は「倭寇の時代」から機能し続けてきて、そこまで遡及して適用できるものだったんです? その場合でも「善意の第三者」という概念が機能しそうな気がするし、「時効」が機能しない理由(法的根拠)もわかりません。
 せっかく『帝国の慰安婦』に関して世論の熱狂に流されないきわめて真っ当な判決(「「帝国の慰安婦」朴教授に無罪判決 ソウル東部地裁」(朝日新聞))が出て、私の「韓国の司法」に対する好感度は上がっていたんですけどね、今回の判決で私の好感度は下がっちゃいました。

 ところで、歴史的に見て「正常でない過程」で所有権が移ってしまったことがすべてに優越する要素なのだったら、たとえば「竹島」が李承晩ラインによって強引に(「正常ではないやり方」で)韓国の領有になったことも誰かが問題にして良いんですかねえ。


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文句を言えない立場の人には強いことが言える

 「知的障害者を食い物にしていたのか?」と言いたくなるニュースがありました。

障害者を最低賃金下回り働かせた疑いで書類送検」(NHK)
》会長は「3人は20年以上前に福祉施設から実習のために預かり、食費や医療費などの生活費は自分が負担してきた。こうした部分への考慮が全くなされていない」と話しています。

 それだったら、きちんと給料を払って、そこから住み込みの生活費を請求すれば良かったのでは? それでも時給が50円にはならないと思いますが。
 この会長に、金銭的に悪い意図があったかどうか、内心はわかりませんが、行為から判定するとしたら「障害者雇用促進法での法定雇用率を上回っている、と申請して国から支給金を受けていたかどうか」で判断できそうです。もし国から金を受け取っていてそれ以下しか労働者に渡していないのだったら、それは明らかに「悪い意図が存在する」と私は判断しちゃいます。


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死語(234)右脳を鍛える

 1980年代頃でしたか「現代人は左脳に偏っている。もっと右脳を鍛えて創造性を高めよう」とか「日本人の脳には西洋人にはない特性がある」といった本がブームになった時期がありました。
 前者は「左脳は論理と言語」「右脳は感性や創造性」という「機能分化」に注目して、「右脳をもっと鍛えたら、創造性豊かな人間になれる」と宣言していました。
 ここで面白いのは、この「右脳」「左脳」の話の根拠として「分離脳の研究」が使われていたことです。
 大脳はたしかに左右に分かれていますが、その中央にある「脳梁」でつながっています。この脳梁は、「梁」という文字が示すとおり、かつては建物の梁と同様「構造物として左右の脳を結合しているだけ」と信じられていました。ところが、脳腫瘍やてんかんの手術などで脳梁を切断せざるを得なくなった患者さんで、その後「左右の大脳をそれぞれ調べることができる」ことがわかりました。その研究や、動物実験の結果、「左右の大脳それぞれの働き」がよくわかるようになったのです。
 だけど、これは「脳梁を切断したから」わかったわけです。ふだん脳梁は「構造物」としてだけではなくて「ゲイトウェイ」として左右の脳を情報的にも密接に結合していたのです。だから「脳梁が切断されていない脳」では、左右は固有の機能は持っているにしても「脳」としては「一体」となって機能していて、別々に評価することは困難です。
 大体、どうやって「片方の脳だけ」訓練できるのかが不明ですし(情報の入力は両方に向かって行われます)、もし片方の脳にだけ情報が入力できたとしても、「中央で連結されて情報が左右で交換されている」のだから「右脳だけ」に限定して訓練の効果を出すことは困難です。

 この「右脳を鍛える」が流行してしばらくしてだったと私は記憶していますが、「日本人の脳には西洋人にはない特性がある」が主張されました。具体的なことはもう大体忘れましたが「西洋人が『音』として右脳で聞いている『虫の声』を日本人は『声』として左脳で聞いている」というのが主張の一つだったはず。
 日本人としては「日本人は特別」と言われると嬉しい気持ちにはなりますが、問題はその主張に「科学的なエビデンス」があるかどうかです。1990年ころに「科学朝日」上で論争が行われていますが、本日の参考図書の著者は、論文の詳細な検討とその主張の追試を行って(当時大騒ぎしたマスコミとは違って)「否定」という結論を出しています。
 あら、残念でした。

参考図書:
「左脳・右脳神話」の誤解を解く』八田武志 著、 化学同人、2013年、1600円(税別)


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安楽椅子探偵医

 推理小説には「安楽椅子探偵(Armchair Detective)」というジャンルがあります。安楽椅子に座ったまま一歩も動かないままで、持ち込まれた難事件の謎を、容疑者を尋問したり現場を調査したりせず謎を持ち込んだ人の話を聞くだけであっさり解決してしまう、という「名探偵」です。
 このジャンルで私が好きなのは「隅の老人」(「隅の老人」シリーズ(バロネス・オルツィ))や「給仕ヘンリー」(「黒後家蜘蛛の会」シリーズ(アイザック・アシモフ))です。もっとも「隅の老人」が座っているのは安楽椅子ではなくて(若い女性が付き添い無しでも入ることができる)安食堂の椅子ですし、ヘンリーは仕事中なので立っていますけれど。
 余談ですが、名探偵ものの嚆矢であるシャーロック・ホームズシリーズの魅力の一つは「ヴィクトリア朝時代のロンドン(やイギリス郊外)の雰囲気が実に濃厚に描かれていること」ですが(「半七捕物帳」シリーズ(岡本綺堂)が江戸時代の雰囲気を活写していることが魅力の一つであることと共通しています)、「隅の老人」は「女性の社会進出が始まっていた都会の雰囲気」も活写している点が魅力です。単なる謎解きだったら謎が解けたらおしまいですが、読み捨てられる凡百の作品と時代を超えて読み続けられる傑作とを分ける条件が、こういったところにもあるのではないか、と私は思っています。

 実は私たち医者もときに「安楽椅子探偵」をやっています。症例検討会や医局で雑談をしていて「こんな患者の症状で困っているんだ」と相談を持ちかけられたときに、実際にその患者を診察したりせずに主治医から話を聞いただけでいろいろ推理をしているのです。で、時に主治医が思いつかなかった意外な“真相”を掘り出すことができる場合もあります。
 ただし私たちも「安楽椅子」にゆったりと座っているのではなくて、パイプ椅子だったりせいぜい事務机の椅子だったりするんですけどね。


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三つの扉(4)「和紙」「ノーベル賞」「わかめ」

 部屋の隅に積んであった古い新聞の束から一部取り出してぱぱぱっと3つの単語を選択しました。
 しかしこれは困りました。単語の関連が見えないのです。苦し紛れに「和紙 ノーベル賞 わかめ」でグーグル検索をしてみましたが、あまり参考になりそうなサイトが登場しません。
 しかたない、また自分の脳みそと読書経験をぎゅっと絞ってみることにしましょう。

 地球は太陽の影響を受け続けています。昼の面は温められ、夜の面は冷えます。大気も水も熱エネルギーを得ると対流で上昇し上昇したところに周囲から吹き込みが生じ、地球の自転の影響もあり、風や海流となります。地球自体が実は巨大な「日時計」なのです。
 たとえば赤道付近では、貿易風や北(あるいは南)赤道海流(どちらもおおむね東から西向き)が発生します。それを利用したのが大西洋での三角貿易でした(*1)。船はイギリス(や他のヨーロッパ諸国)から出発してカナリア海流に乗って南下、アフリカ西部で武器や繊維製品を降ろして奴隷を積み込みます。そしてこんどは北(あるいは南)赤道海流や貿易風に乗って西を目指します。西インド諸島あるいは新大陸で奴隷を降ろすと砂糖などのプランテーション製品を積んでこんどはメキシコ湾流に乗ってイギリスに戻ります。
 「三角形(というか半円)の航路」は太平洋でも見られました。スペインはフィリピンを植民地にしていましたが、そこは「メキシコ経由での支配」でした。スペイン本国からアフリカをぐるっと回ってアジアに入る方が近いような気がしますが、インド洋は敵であるイギリスやオランダの船がうようよ航行していて使いにくいのが一つの理由。もう一つの理由が「絶好の航路」の存在でした。
 メキシコから北赤道海流に乗ると、ほぼ一直線でフィリピンに到達することができます。いわば「海上のハイウェイ」です。では帰りは? こんどは「黒潮」を使います。太平洋の北側をぐるっと回るわけ。この「帰り道」が見つかってメキシコからフィリピンに植民地総督を派遣する制度が確定しました。臨時総督としてメキシコからフィリピンに派遣されていたドン・ロドリゴがフィリピンからの帰途に台風で遭難して千葉県の岩和田村に漂着したのは、その「帰り道」が日本のそばを通っていたせいです。そのおかげで、三浦按針から話を聞いて海外に興味を持っていた徳川家康がドン・ロドリゴの漂着を利用してメキシコに使節を送ろうと行動を始めたり、慶長遣欧使節団が送られたりすることになりました(*2,*3)。

*1)『砂糖入門』斉藤祥治・内田豊・佐野寿和(精糖工業会) 著、日本食糧新聞社、2010年、1200円(税別)
*2)『コンニャク屋漂流記』星野博美 著、 文藝春秋、2011年、2000円(税別)
*3)『ローマへの遠い旅』高橋由貴彦 著、 講談社、1981年、2400円

 赤道近くの貿易風は東風ですが、中緯度地域では逆向きの偏西風となります。日本では戦前から研究が進んでいましたが、日本付近では低気圧が西から東に移動することや台風が北に上がってきたのが急に東に進路を変えることなどを観察したら「東向きの風が吹いていること」は簡単に推測できたでしょう。だからゾンデを上げたりしてけっこう精密に研究がされていて、その結果が「風船爆弾」に活かされました。
 話がずれますが、米軍はこの偏西風の存在を知らなくて、B29で爆撃をするのに向かい風でえらい苦労をした、なんて話を聞いたことがあります。ただ、それは「米軍」が知らなかっただけで「アメリカの気象学者」には常識だったのではないか、と私は想像しています。
 「風船爆弾」と言うとなんだか原始的な武器のような語感ですが、けっこう精密な構造をしています。和紙をコンニャクのりで二重三重に貼り合わせて気密構造の気嚢として水素ガスを満たします。爆弾や焼夷弾と砂のバラストを搭載して発射、高空に到達したら低温で気嚢がしぼんで浮力が減少するので、気圧計に連動した高度維持装置でバラストを投下したりして高度1万mを維持します。そして偏西風に乗って2〜3日でアメリカ本土に到達した頃に爆弾を投下、気球は自爆、という設計でした。
 発射されたのは総数9300発、アメリカ本土(USAとカナダ)に到達したことが確認されているのは285発だそうです。
 風船爆弾には細菌兵器の搭載も検討されましたが、高度1万mの寒冷環境では細菌が生き延びられないことと、アメリカに同じ手段で報復をされたらまずい、という理由でこの案は却下されています。もう一つ、原子爆弾の搭載も将来構想としてありました(*4)。

*4)『中学生たちの風船爆弾』中條克俊 著、 さきたま双書、1995年、1650円(税別)

 当時、陸軍は理化学研究所の仁科研究室で「ニ号計画」、海軍は京都大学で「F計画」、と二本立てで原子力爆弾開発を進めていました。もっとも、ウラン鉱石は在庫がろくにない状態で(たしかドイツからUボートで輸入しようとしていたはず)、戦況の悪化で人も資材も電力も不足していて、とても完成するとは思えない、だけどこんなに困難なのだからアメリカにも完成はできないだろう、というのが当時の日本の科学者たちの共通認識だったそうです。
 仁科研究室では原爆開発をしていただけではありません。“本来の業務”として、サイクロトロンを建造して原子核物理学の研究も行おうとしていました。そこで研究を競い合っていた中に、湯川秀樹や朝永振一郎がいました。後のノーベル物理学賞受賞者です。ただ、やっと完成したサイクロトロンは電力不足のため稼働できず、戦争が終わって「やっと研究ができる」と喜んだらGHQが「これは原爆開発のためのものに違いない」と筋違いのいちゃもんをつけてあっさり破壊して、破壊してから「あ、間違いだった」という有様だったのです(*5)。ひでえ話です。

*5)『「科学者の楽園」をつくった男 ──大河内正敏と理化学研究所』冨田親平 著、 河出文庫、2014年、920円(税別)

 蛇足です。この『「科学者の楽園」をつくった男』によると、のちに「ケンカ太郎」の異名を取った日本医師会長武見太郎も、若かりし日に慶應大学の医局を辞めてこの仁科研究室に所属していたそうです。医者の立場からしたら、こちらのエピソードの方にも興味が引かれます。

 さて、ここまで「和紙」と「ノーベル賞」についてはなんとか関連づけて述べることができました。……「わかめ」が残ってますね。

 「理化学研究所」は一番最初は化学の基礎研究を行う「化学研究所」として大正時代に構想が立てられました。しかし「やはり物理の基礎研究も将来の日本には必要だろう」ということで「理化学研究所」としてスタートし、略称が「理研」になりました。最初の構想のままだったら「化研」になっていたはずなんですけどね。
 理研は戦前から「経済的自立(=金を稼ぐこと)」にも熱心で、ビタミン剤や合成酒やアルマイトなどを開発しては売り出していました。現在「理研ビタミン株式会社」という企業がありますがこれは、理研の企業群が「財閥解体」でばらされた後、理研のビタミン部門を引き継いで設立された会社です。で、この会社が売っている商品の中に「理研のわかめ」があります。「ふえるわかめ」とか「わかめスープ」で、食べたことがある日本人はけっこう多いはず。少なくとも私は食べたことがあります。

参考サイト
歴史/理研ビタミン株式会社

 はい、やっとこさ「和紙」「ノーベル賞」「わかめ」がつながりました。めでたしめでたし。


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