転がるイシあたま

医療系の雑談ブログです

文字通り(3-13)「犯」

「防犯ベル」……音で犯罪を未然に防止する機器
「防犯カメラ」……警報が鳴ったりマジックハンドが出てきて犯罪を未然に防止するカメラ
「戦争犯罪」……たとえ戦争でもルールはあるという主張
「戦争犯罪人」……本当に悪い奴はうまく逃げている
「罪を犯す」……罪に対してひどいことをする
「累犯者」……刑罰が教育的ではないことの生きた証明
「犯しがたい気品」……それを見る自分は汚れている、という自覚の表明
「接続犯」……ネットに接続する犯罪者
「幻覚犯」……犯罪の幻覚
「形式犯」……役人は大好き
「行政犯」……役人は大嫌い
「愉快犯」……愉快な犯罪またはその犯人
「真犯人」……逮捕や報道をされたかどうかは無関係
「一生不犯」……出生時に母の膣は通らない


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裏声で「A」は出せるか?

 コンサート開始直前のチューニングの「Aをください」で出される音は世界のほとんどのオケでは「440ヘルツ(ヤマハ式だと「A3」、国際式だと「A4」)(*1)」ですが、同じく人間が生まれて最初の「おぎゃー」もまた地球上のどこでも「440ヘルツ」です……というのは言い過ぎですが、赤ちゃんの声は大体「400〜500ヘルツの間」にきれいにおさまっているので「440だ」と断言するのではなくてちょっと控え目に「440あたりだ」と言えば、それほど大きな間違いではないわけです。

*1)「440Hz=A4なのかA3なのか」(g200kg)

 楽器の音の高さ(低さ)は、基本的に楽器のサイズによって規定されます。小さい(短い)と高い音、大きい(長い)と低い音。で、人間の喉を楽器に見立てると、そのサイズはどの赤ちゃんでもほぼ万国共通ですから、ほぼ同じ高さの音(声)が出るわけです。で、成長することによって楽器、じゃなくて人体の大きさは増大し、さらに声の調節もできるようになるからいろんな高さの声が出せるようになるのですが、その拡張の方向は基本的に「低域」に向かって、です。そして、思春期の声変わりで最終的な仕上げがされます。この思春期前の美しいボーイソプラノを生かした合唱団が、たとえばウィーン少年合唱隊とか、私のお気に入りのリベラです。しかし時の流れは止められず、「天使の歌声」は「声変わり」によって破壊されてしまいます。
 で、「ボーイソプラノの名歌手」を思春期以降にも“保存”したい、という欲望から、昔は去勢(英語でcastration)という手段が用いられました。映画「カストラート」は、18世紀に実在したカストラート歌手ファリネッリが主人公です。この映画では、町の辻音楽から国王の歌手にまでのし上がっていくファリネッリの人生が描かれていますが、そこで私が面白く感じたのは、楽器との対決シーンです。当時の宮廷や貴族に囲われていない音楽家たちは、要は大道芸人ですから、観衆に受けなきゃいけません。そこで「対決」という“舞台”が用意されました。「どちらが勝つか」というのは、見ている方もわくわくしますからね。私の記憶では、ファリネッリと対決したのはトランペットです。トランペット相手に人の声では迫力で最初から負けているような気もしますが、バロック時代のトランペットはバルブがない「自然トランペット」で、音階は唇の圧力の変化だけで出していました。しかも低音はとびとびの音しか出ません(バルブが発明されて半音が自由に出せるようになったのは1815年頃だそうです(*2))。だから頭を使ってトランペットが不得意とする領域に誘い込めば対決は有利に進展するはずですが、映画ではファリネッリは真っ向から勝負を挑み、超絶技巧と超自然的な高音の美声で観衆を魅了してしまいました。

*2)『トランペットの歴史』エドワード・タール 著、 中山富士雄 訳、 ショット・ミュージック、2012年、2000円(税別)

 実際のファリネッリがどのくらいの声域を持っていたのかはわかりません。マライア・キャリーがデビューした頃「7オクターブの美声」と宣伝されていたのを思い出して、それぐらいは出たのかな、なんてことを私は思っていますが、証拠はありません。
 私自身は、一番声が出た若い頃で、2オクターブでした。面白いことに、クラシックギターの6本の開放弦の音の範囲とほぼ一致していました(今はもっと狭くなっていることは確実ですが)。裏声を使えばもうちょっと上の音も出せますが、「歌声」としてはちと苦しい。マライア・キャリーは私と同じ人間なのでしょうか?
 こんな私でも、赤ん坊の時には440ヘルツでぎゃーとかあーとか言っていたわけです。ちなみに「440ヘルツ」は、ギターだと第一弦(一番高音の弦)の開放弦から半音5つ分高いところの「ラ」の音です。今出せと言われても、裏声でも無理かもしれません。


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死語(216)レントゲン写真を持って走る

 「レントゲン写真」という言葉自体はまだ使えるでしょうが、デジタル時代になってからは、院内では「リアルな現物」は本当に見なくなりました。昭和の末にレントゲンフィルムで倉庫がいっぱいになるからどうするか(倉庫を増設、保存の法定期限を過ぎた写真は廃棄、マイクロフィルムに転写して大きい写真の方は廃棄)で熱心に議論した時代もあったな、とちょっと遠い目になります。

 私は研修医の時、このレントゲン写真(と可能ならカルテ)を持って院内を走り回ることがよくありました。自分が研修をしているかの中で完結する問題だったらその病棟から出る必要はありませんが、複数の科にまたがって問題を抱えている人の場合、一々それぞれの専門家に病棟への往診依頼を出すよりも、自分がデータを持って走り回ってアドバイスをもらう方がよほど時間の節約になる、と思っていたからです。で、説明をして興味を持ってもらえたらそのままそのドクターを病棟に拉致して直接診察をしてもらうわけです。おかげでプレゼンテーション能力がずいぶん鍛えられました(「口がうまくなった」とも言えますが)。
 「レントゲン写真を持って走る」という行為ももう最近の病院では見られないでしょうね。走る医者は走るでしょうが、デジタルデータは電線の中を走っていますから。


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アインシュタインもディアナ・アグロンも知らないけれど

 HKT48の「アインシュタインよりディアナ・アグロン」の歌詞が「女性差別だ」と一部で炎上しているそうです。なんでも「女の子は頭がカラッポでも良い、見た目だけが重要」という内容の歌詞だそうで、それに対して「そんな女性差別は許さない」と。
 今どきそんな露骨な歌詞があるのかなあ、と思って調べてみたら、たしかにその通りの内容でした。あらあら、これはすごいや。
 ただ、その歌詞を読んでいて、私は「自分の心に刺さってくる部分」を感じました。タテマエでは「男女同権」「女性差別は許さない」と言ってはいても、ホンネの部分では「女なんて頭カラッポでいいんだよ。見た目さえ良ければそれだけで良いんだよ」とひそかに思っている(=女を見下している、だからセクハラが発生する)のは「現在の日本社会の実態」でしょ? で、自分自身もそういったハラスメントが横行する社会を構成している一部ではないか、と思ったのです。
 つまり私にとってこの歌詞は「自覚に対する挑発」です。あるいは「現代日本社会(特に“遅れた”男の意識)に対する諷刺」。(作詞者に話を聞いたわけではないので、あくまで「私にとって」の話です)

 ちなみに私はアインシュタインもディアナ・アグロンも知りません。会ったこともありませんし日常会話に彼らの名前が登場することはありません。相対性理論は完全には理解できていないし、「グリー」というドラマも名前しか知りません。だからこの歌詞で「アインシュタイン」と「ディアナ・アグロン」が何の“アイコン”なのか、も理解できていません。強いて言うならアインシュタインは男でディアナ・アグロンが女、という程度の理解です。
 ところでこの「アインシュタイン」を、たとえば「市川房枝」とか「ヒラリー・クリントン」とかに変えてみたら、歌詞には別の意味が生じますかね。


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オバマ大統領in広島

 アメリカ軍の最高司令官でもあるオバマ大統領がさきほど広島を訪問しました。
 テレビ画面でまず目についたのが、警護の人間の恰好です。背広のボタンを外して左手を上着の裾あたりに置いているのは、いつでも拳銃を抜けるように、という体勢でしょう。ショルダーホルスターあるいはヒップホルスターに拳銃が入っているかどうか、は日本の警察は調べないお約束なんでしょうね。「持ち込んでいる、と言わないから持ち込んでいないはずだ」の非核三原則みたいなものかな。
 乗っていた自動車は、紋章が入った大統領専用車のようですが、あれ、わざわざ本国から運んできたんでしょうか?
 意外だったのは、まず原爆資料館に入っていったこと。ケネディーさんやケリーさんから話を聞いて、自分の目で確認したいと思ったのかな。ちょうど資料館の下が発掘作業中でちょっと乱れているのが、残念でした。さらっと献花だけして通り一遍のことだけ喋ってさっさと帰るのか、なんて思っていましたが、すごい態度だと思います。
 献花の時に、それに合わせて私も黙祷をしたのでオバマさんがどんな態度だったのかを直接確認はできませんでしたが、直後のビデオ再生では、ずいぶん固い表情でしたね。もちろん頭は下げません。これ、うっかり頭を下げたら、そこだけ写真で切り取られて「オバマが謝った」と報道されるのは目に見えていますから、そこは気をつけたのでしょう。
 資料館の中を見て、献花をして、そのとき腹の内で何を思ったか、知りたいですねえ。「広島を訪問する」「資料館にも入る」「献花の後、原爆ドームに少し近づいて説明を聞く」という行動だけでも、多くのことが物語られているようには思えますが。

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爪白癬の塗り薬

 珍しく科研製薬のMRさんがやって来たので、しかも年配の人だったので昔の話をまず振ってみると、「以前は、エンピナースやブルフェンで……」と懐かしい名前を出してくれました。昭和の時代には確かにこの二つの薬剤はけっこう使っていた覚えがあります。しかし今年エンピナースは薬価基準から削除、ブルフェンも最近噂を聞かないなあ、と思っていたら、ブルフェンの一般名はイブプロフェンで、だったらたとえば市販薬の「イブ」といった形でまだ生き残っているんですね。
 で、本日の本題の用件は「爪白癬の塗り薬の宣伝です」とのこと。
 「爪白癬」の前にまず「白癬症」について説明しておきましょう。「白癬症」とはつまりは「水虫」のことです。一番有名なのは足(特に足趾の間)ですが、皮膚だったらどこにでも発生する感染症です。で、爪も皮膚の一部ですから(主成分は皮膚と共通のケラチンです)そこに水虫の菌が侵入することがあります。これが「爪白癬」。
 ところで水虫って、なおりにくいですよね? 実は水虫菌(皮膚糸状菌)に薬はよく効きます。水虫菌は真菌(カビ)ですが、細菌とは違って「水虫での薬剤に対する耐性菌」はまだ報告されていないはずです。ではなぜなおりにくいかと言えば、主な原因は二つあると私は考えています。
1)治療が不十分
 雑草の場合、表面だけ枯らしても根っこを温存していたらまた生えてくることがあります。それと同じアナロジーで、水虫も表面だけやっつけても皮膚の奥に生きた菌が残っていたらそこから再発します。ところが足の裏って、皮が分厚いですよね。薬が染みこむのに時間がその分かかります。だから表面がきれいになったとしても、奥の奥まできれいになるまで治療をしたいのですが……人間って、表がきれいになったら安心してそこで治療をやめちゃう傾向があります。ということで、しばらくしたら再発する、というわけです。
2)環境の問題
 もし水虫が治ったとしても、同居している人が水虫だったらどうなるでしょう? 水虫に関して一人だけクリーンになったとしても他の家族が水虫だったら、たとえば床とかトイレのスリッパとかに水虫菌が潜んでいますから、そこから再感染する可能性が大です。だから治療するのなら「同居する人全員」を一度にやった方が良いです。でないと「治りにくい水虫」に延々と悩まされることになります。「治りにくい」のではなくて「治ったけれどすぐに再発した」水虫なんですが。
 これは性病と同じ考え方ができますね。性病の治療をするのなら、性行為のパートナー全員をいちどに治療しないと、病気が行ったり来たりするだけになってしまいます。

 で、次が「爪白癬」。爪は足底の皮膚よりさらに頑丈にできています。だから、真菌が感染した爪全体に薬を浸透させるのはなかなか困難です。だからこれまで爪白癬の治療は飲み薬で、というのが医学の常識でした。飲んだ薬が血管を通って皮下組織に到達し、そこから爪を“下”から攻撃する、というイメージです。ところがこの飲み薬、大げさな言い方をしたら副作用の塊みたいなもので、やたらと他の薬との相性も悪くてきわめて使いにくいものでした。原典は忘れましたが、「一般的な白癬症の塗り薬を爪に塗っても、たまに(1割だったか2割だったかに)効くことがある」という論文を読んだことがあるので、私は患者さんに「たまに効くことがあるから、足の皮膚だけではなくて爪にも塗ってください」と薬を処方したこともあります。

 で「爪白癬の塗り薬」です。話を聞いた「エフィナコナゾール(一般名)」という薬は、真菌をやっつける作用があり、さらにケラチンとの親和性が低い(爪にトラップされずに通過できる)という性質を持っているのだそうです。だから爪と皮膚の境目(「爪床」と言います)に巣食っている水虫菌を直撃できます。
 「待ってました」と私は言いたくなりました。
 ただ問題はあります。この薬を使うためには「爪白癬であるという確定診断」が必要なのです。「爪が白濁している」とかの見かけだけで決めては駄目で、標本を採取して顕微鏡で「白癬菌がいる」ことを確認しなければなりません。寝たきり老人などで明らかに爪白癬らしい人を、往診を頼んだり介護タクシーを仕立てて皮膚科外来を受診しなくてもお手軽に治療できると喜んだのですが、検査のためにやはり皮膚科に行ってもらわなければならないのは、できたら避けたい。ということは、私がメスなりピンセットなりで練習して、標本採取ができるようになれば良いわけです。さて、どうやって練習しようかしら。
 もう一つ。足の爪は手の爪に比較すると入れ替わるのに時間がかかります(私の場合は、手と足で爪を切る必要度から判断して、足の爪が伸びる速度は手の大体半分くらい、と感じています)。ということは、爪の表面が一見きれいに見えても、足の爪が入れ替わるまで(爪の下に潜んだ水虫菌が死滅するか爪の成長に従って押し出されるまで)薬を塗った方が良いと言うことになります。大体半年から1年くらいかな? もし自分が塗るとしたら、途中で忘れるか根気が切れてしまいそうな気がします。


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指示出しの時間

 ある日、海の向こうの県にある病院から十人以上の人が私が勤務する病院に見学にやって来られました。ネットで見る限り、向こうの方がこちらの倍以上の規模があるし施設基準なども真っ当に取得しているし、一体何を見学したいんだろう、とちょっと不思議に思いましたが、物事を深く考えることが苦手な私はそのまま日常業務に入ります。で、病棟で仕事をしていると、ぞろぞろと一行が病棟見学にやって来られました。たぶん職種別にグループに分かれているのでしょうね、数人ずつ固まっていてそれぞれのグループにこちらの幹部職員が案内役についています。で、その中で、私(たち)が仕事をしている姿に妙に熱い視線を注ぐグループが。医者が病棟で電子カルテを操作している姿のどこが面白いのだろう、と思いましたが、どうやら面白かったそうです。
 後刻案内役を務めた人から「複数のドクターがおられますが、今はドクターの指示出しの時間ですか?」と質問された、と聞かされました。
 意味がわかりませんでした。その質問をされた人も意味がわからなくて質問の深掘りをやったところ、その病院では「医者は病棟にはいないもの」なのだそうです。病棟にいるのは「指示出しの時間」と決められた時間帯だけ。
 だけど、「指示」以外に書くことは多いんですけどね。たとえば回診をしたらその記録をSOAP(患者の主観的な訴え、客観的な所見、評価(判断)、プラン)で入力するし、面談で患者・家族に渡す資料は定期的に書くし(電子カルテの中身をそのままコピーしても素人には理解できませんから“日本語”に翻訳します)、多職種での患者カンファランスやサービス担当者会議の資料も書かなきゃいけないし、こちらからの紹介状やこちらへの紹介状の返事や主治医意見書や診断書や入院証明書や入院サマリーやあれやこれや、毎日私は「書くこと」に追われています。もちろん診療上の「指示(処方、検査、注射など)」も書きますが、それ以外のものがやたらと多いのです(この「文書仕事の多さ」については、このブログで時々こぼしているから、読者の皆さんはすでにご存じでしょう)。
 もちろん医局にもパソコンがあるからそこで入力や電子カルテの確認はできますが、病棟には私個人が優先使用できるパソコンが一台あるし、紙のカルテやその他の紙の書類にはすぐ手が届くし、何か変更したら即座にスタッフに声をかけて二重チェックをしてもらえるし、検査データで異常があったり薬を変更したらその場で忘れないうちに患者さんの所に行ってその説明ができるし……というわけで、「医者が病棟で仕事をしている」のは「普通」のことですよね? なんだか私は自分の「当たり前」を疑わなければならないのか、とちょっと心配になってきているのです。


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「したい」「させたい」「したくない」「させない」の相違点と共通点

 「米文化人が大統領に書簡 “広島で謝罪せずの方針再検討を”」(NHK)http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160524/k10010532821000.html
 世論を二分する問題だからでしょう、広島を訪問する予定のオバマ大統領に対して「謝罪をするべきだ」と「謝罪をするべきではない」のせめぎ合いがおこなわれています。
 私の一族には、原爆に殺された人間や殺されかけた人間、疎開していてあやうく難を逃れた人間、などが一通り取り揃えてあるので、「被爆」は他人ごとではありません(もちろん原爆には無関係だった人間が一番多いのではありますが、原爆には無関係でも「戦死」とか「引き揚げ」で戦争と直接関係した人たちもいます)。で、私から見たら「謝罪」をキーワードに侃々諤々の議論をしているのは、どこかピントがずれているような気がするんですよね。少なくとも私は「謝罪」は望んでいませんから。
 たしかアメリカは(もしかしたら日本も)民主主義の国ですから、こういった場合は「議論」をすれば良いのに、なぜかみなさん「オバマさん」にターゲットを定めて「謝罪をするべきだ」「謝罪をするべきではない」と一方的に言葉を浴びせかけようとします。だけどこの社会は意見が違うもののモザイクなのは最初からわかっているのですから、オバマさんに何かを言う前に、まずは「主張の違う者同士の議論」をしたらどうでしょう。そこでお互いの主張のメリットとデメリットをぶつけ合って、妥協案は簡単には出ないにしても、「現実の社会がどうなっているか」をお互い確認したら明日への第一歩が変わってくるかもしれない、と思うんですよね。それは「ヒロシマ(あるいはナガサキ)で実際に何が起きたかを知る」のと共通の態度だと私は考えています。「原爆を爆発させたら何が起きるか」を知らずにその使用について議論するのは現実認識を欠いたふわふわした空理空論だから「現実を知ること」で自分の考えを鍛えたら良いし、反対意見がどんなものかを身をもって直接知ることも自分の意見を鍛えるのに役立つでしょ?

 私個人は「謝罪」には興味がありませんが、「それぞれの意見を強く言う人たちの深層心理」には興味があります。なぜそのような行動をしたくなるのかな、と。そこでまず分類をしてみましょう。とりあえず「自分は謝罪をしたい」「他人に謝罪をさせたい」「自分は謝罪をしたくない」「他人に謝罪をさせない」の4パターンでしょうか。ただ、「他人に謝罪をさせたい」と「他人に謝罪をさせない」は、表面上は反対の言葉を述べていますが、心理学的には同じ括りに入れちゃって良いでしょう。「他人に自分の意見通りの行動を押しつけたい」が根底に共通の態度ですから。さて、残るは「自分は謝罪をしたい」と「自分は謝罪をしたくない」ですね。どこが違ってどこが同じなのかな?


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百人一首連想(80)待賢門院堀河

「ながからむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ」待賢門院堀河

 なんとも艶っぽい歌です。「後朝(きぬぎぬ)の別れ」で女性が「自分の黒髪が乱れていること」に託して「自分の思い」を歌っています。
 平安時代の貴族階級での「美女」の条件は「しもぶくれの顔、細い目、おちょぼ口、小さな鼻、長い黒髪(できたら身の丈以上)」と俗に言われていて、さらに「和歌の才能」が必要です。庶民の美女の基準も知りたいところですが、貴族はそういったことは日記に残してくれないので、残念ながら詳しいことはわかりません。
 ただ、「しもぶくれの顔……」はどのくらい確かなことなんでしょう。たしかに当時の絵巻物や百人一首の札に描かれた「美人」の顔は“そのよう”に見えますが、あれは「描くときのお約束」に従って描いてあるだけじゃないか、と私は疑っています。たとえば昭和後半の少女漫画で「美少女のバックには常にばらの花」「顔の1/3くらいの大きさの瞳」が“お約束”だったのと同じようなものではないか、と。それに当時の高貴な女性の“素顔”は「夜目遠目御簾の内」ですから、あまり「美女の定義」を言い立てても仕方ないのではないかなあ。
 美女の黒髪を乱したのは、寝相の悪さ、ではなくて、誰かの手でしょう。だからこそ「今朝はものをこそ思」いたくなるわけ。あの手は明日の夜はどこで何を乱しているのだろう、この黒髪のように長く二人の仲が続けば良いのに、と。ああ、思いは千々に乱れます。だけど“プレイボーイ”は、髪の毛につなぎ止められたくはないんですよね。もしもこの歌が女から男へ贈られたものだったなら、男は返歌としてどんなものを詠んだのでしょう?


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残念な負傷

 「五郎丸、右肩手術へ 全治12週間で6月の代表戦欠場」(朝日新聞)http://www.asahi.com/articles/ASJ5Q3S0NJ5QUTQP01D.html
「Ayumu Goromaru injury update」(REDS)http://www.redsrugby.com.au/News/NewsArticles/tabid/581/ArticleID/17294/Ayumu-Goromaru-injury-update.aspx
 五郎丸さんの体は分厚い筋肉の鎧に覆われているように見えるのですが、その防御力を上回る衝撃が体内に伝わるくらいの運動エネルギーだったんですね。
 テレビの画面で見る限り、ショルダータックルのように体当たりをした後の負傷です。REDSの発表では「AC joint separation(肩関節脱臼)」ですが、回復に3箇月というのはちょっと長いですね。手術後の固定が1箇月、動的なリハビリテーションが2箇月ということなのでしょうか。もしかしたら上腕骨が関節面に突っ込まれたようになって受けた側の関節面に小さな骨折が生じているのではないか、なんてことも想像してしまいます。
 これだけでも残念なニュースですが、もう一つ残念なのは、ショルダータックルはラグビーでは反則とされている「ノーバインドタックル」であることです。反則をしてそれで負傷したことの残念さは、たぶん本人が一番わかっていることでしょうが。

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