転がるイシあたま

医療系の雑談ブログです

芥川賞

 先ほどラジオでたまたま芥川龍之介のことを言っていました。そういえば、優れた作品を発表した新人作家に芥川賞が授与されますが、芥川龍之介本人は芥川賞を受賞していません。すると彼はつまらない小説家?
 もちろんそんなことはありません(芥川を嫌いな読者は「そうだ」と言うかもしれませんが)。
 これまでに熱望していて芥川賞が取れなくてがっかりしている人は日本中にものすごくたくさんいるとは思いますが、「芥川賞を受賞すること」を人生の目標にするのではなくて「自分の名前が冠された賞が未来にできること」を目標にしたら、くじけずにすごい仕事ができるんじゃないです? 「死後に評価される」と思ったらやる気がもりもりと……は無理かな。やっぱり“生前”に評価されたいですよねえ。

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腸の形の便

 便秘についてはこのブログではこれまでに何回か取り上げましたが、懲りずにまた便秘関連のお話です。
 いつものように、実際に私が体験したお話をフィクション化したものです。

 ある病気で入院してきたμさんの経過は順調でした。ところがある日、急にはげしい嘔気・嘔吐が。
 これは大変、と私はざっと検査を出します。腸閉塞や腹膜炎といったお腹の病気もあり得ますし髄膜炎とかの恐い病気も考えますが、胆石や急性胃腸炎とかの可能性も頭には浮かんでいます。ところが診察をしてみると、お腹はソフトだし腸はちゃんと動いている音がします。つまり腸閉塞や腹膜炎はここでリストの先頭から脱落。髄膜炎の症状も見えません。
 「便やガスは出てますか?」と聞くと「今日はまだ便は出てないけれど、昨日までは毎日ありました。ガスは出てます」とのこと。
 血液検査では、白血球もCRPも正常で、感染症ではなさそう(髄膜炎や細菌性腸炎も脱落です)。腹部エコーでは石は見えません。ただ、外からは触らなかった便がぎっしり肝臓のそばにあります。あれれ、排便は毎日だったはずよね。腹部レントゲンを撮ると、お腹の右半分に便がぎっしりつまっています。左半分にはガスがたっぷり。腸閉塞に特徴的な「ニボー(neveau)」は見えません(ここで腸閉塞は完全に脱落します)。
 μさんの体内で一体何が起きているんだ、と私は頭を抱えます。思いつく病名が片っ端から否定されてしまうのですから。
 そうそう、吐物は最初は食物でしたが、それを全部吐くとこんどは胆汁や胃液になりました。ということは、胆管が閉塞したわけでもありません。血液検査でも、膵臓のアミラーゼや胆道系酵素はまったく正常です。つまり、膵臓や胆管に何か問題があるわけでもなさそうです。
 となると次は胃の検査ですが、残念ながらすぐ手が届くところに胃カメラはありません。諸般の事情で、すぐに近くの消化器内科でカメラを、ということができません。
 転院含みで大きな病院に電話をしましたが、全身状態からは重症感もないし、絶食にして持続点滴でどうなるか様子を見てまた相談を、ということになりました。
 翌日も状態はまったく同じです。全身状態に変化無し。血液検査に変化無し。腹部レントゲンにも変化無し。
 ちょっと待った。腹部レントゲンを私はもう一度眺めます。よく見たら、左半分のガスの形は少し変化していますが、右半分の便は全然変わっていないのです。お腹をもう一度触ると右季肋部(右の上腹部で肋骨のすぐ下)で「あ、今日はそこが少し気持ち悪い」とμさん。「昨日はここは何ともなかったですよね。今は、痛いです?」「いや、痛くはないけれど、ちょっと気持ち悪い」。昨日と便が全然動いていない様子なのに、腸閉塞のサインがないって、何?(ニボーがありませんし、排便はありませんがおならはあります)
 「一体何なんだ」と私はまた頭を抱えたい気分ですが、ここで話を放り出すわけにはいきません。この病院で残された最後の“武器”はCTだけです。医療被曝が気になりますが、もうそんなことを言っている場合ではない、とオーダーします。すると、まるでバリウム便のように濃度の濃い便が、盲腸から上行結腸、さらには肝弯曲を越えて横行結腸の右1/3ほど(つまり「大腸の右半分」)にぎっしり詰まっているのが見えました。それと、腹腔内の動脈がどれもがちがちに動脈硬化がきているのも。
 ここでやっと私の脳内に「ストーリー」が形成されます。
 μさんはひどい「メタボリック症候群」で動脈硬化が全身に来ています。そのために腸の動きも十分なものとは言えず、便秘がちでした。そしてある日、結腸のどこかで硬い便の塊が引っかかってしまいました。恐らく最初は鋭く曲がっている肝弯曲あたりでしょう。しかし、液状成分・泥状成分・気体はその塊の脇をすり抜けることができますから、大きな問題は生じていませんでした。おそらく痛みは生じているはずですが、末梢神経の栄養血管にも動脈硬化が来たら神経麻痺も生じますから痛みを感じなかった、と説明できそうです。ここまでは「第1フェーズ」、「発端」です。次の「第2フェーズ」は「成長」。最初は小さかったはずの便の塊は常に新しい軟便にさらされ、少しずつ「成長」していきました。そしていつしか、結腸を“鋳型”として逆さ向きの釣り針のような形のでっかい硬便になってしまったのです。こうなるともう便は絶対動きません。それでも、便と腸壁の隙間を柔らかいものや気体は通過できていたので、とりあえずは生活はできていた。そして「第3フェーズ」の「発症」。便が「成長」するのに合わせて腸壁も伸展してなんとかやりくりしていたのがとうとう限界に達して腸が悲鳴を上げるようになったのか、あるいは便のごつごつした塊がたとえば太陽神経叢(お腹の中の自律神経の中枢です。みぞおちを殴られたら「うっ」と倒れるのはここが衝撃を受けるから)を圧迫するようになったのかもしれません。
 「何が起きているのかわからないから、誰かなんとかして」だったら受ける方も困るし患者さんも「診療の最短コース」に乗れません。だから私は紹介する時には、命にかかわる緊急事態の場合は別ですが、なるべく「診療の最短コースの入り口」に紹介することにしています。で、μさんは総合病院の消化器内科に紹介しました。先方の見解も私の「ストーリー」を支持するもので、ストレッチャーで搬送可能な介護タクシーでμさんは転院して行かれました。
 ただ、治療はどうなるんでしょう。私が思いつくのは、内科的には大腸内視鏡で便をちまちま砕いていくことですが、これは下手すると腸壁を破るおそれがあります。水を勢いよくかけたらぼろぼろ崩れてくれるものだったら良いのですが。あとは外科的に、開腹手術。腹を開けて腸も開けて中身を取り出す。
 しかし、腹の中に便の「化石」があるというのは、どうも困ったものです。


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マイナンバーの想定範囲はどこまで?

 マイナンバーの通知がやっと我が家にも来ました。
 現物を見て誤配達が多い理由がひとつわかったような気がします。とにかく宛先の文字が小さすぎる。何ポイントと言うのかな、2mm角くらいの大きさ(小ささ)でしかありません。これでは老眼が来ている人の誤読を増やすだけでしょう。プリンターのインク節約のつもりなのかもしれませんが、それでミスが増えたら結局国民の損害が増えているだけでは?
 それにしても12桁はさすがに暗記するのはきついなあ。アメリカの映画で(タイトルは失念。「コーラス・ライン」だったかな?)、電話した相手に求められて自分の社会保障番号をすらすらと伝えるシーンを見たことがありますが、あれは9桁だからさっと言えたのかもしれません。
 で、マイナンバーの安全性はどうなんでしょう?
 原子力発電安全神話では「過酷事故は日本では起きない」「津波は原発を襲わない」「全電源喪失はあり得ない」が「想定」で、だから現実が「想定外」となったとき「フクシマ」が起きました。
 で、マイナンバーの安全性の「想定」はどこまでされているのでしょう? それと、それに対する具体的な対策は当然すでに取られていますよね。“普通の事故”だけではなくて“過酷事故”についても対策は準備されていて、予行演習も済んでます?

 あ、「前例がない」が何かを棄却する場合の絶対的な決めぜりふの官僚さんたちにとって、「マイナンバー事件」は、まだ「前例がない」事態ですから、何も想定する必要がない、ということかな? たとえば「年金の情報」は「マイナンバーの情報」ではないですからねえ。

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実は脱いだらすごいんです

 「実は脱いだらすごいんです」は、ふつうは、着やせする女性の肉体美について語られる言葉です。
 ところで、私も痩せては見えますが、実は脱いだらすごいんですよ。お腹がぽこんと。



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歯には脳も目も口もついていない

 医者をやっていると、人体の神秘に驚くことがよくあります。
 皆さん慣れっこだから神秘には見えませんが、たとえば「皮膚の傷が治る」のも、実はすごいことです。
 ぱっくり皮膚に開いた傷口を、押さえたり縫ったりしておくと、まず血が止まります。それは血液の止血機構が働くからで、それ自体は別に不思議なことではありません。次に炎症が起き、皮膚の細胞が増殖をします。ここまではあらかじめ用意されたメカニズムが発現しているだけ、と言えそうです。私がすごいと感じるのは「止まる」こと、です。「血が止まる」ではなくて、細胞が増えて傷口が合わさるとそこで細胞の増殖は止まります。こちらの方。これ、“誰”が判断しているのでしょう? 細胞同士が「もうこれくらいでいいだろう」「そうだね」と相談している? たまに上手くつかなかったり、細胞を作りすぎて盛り上がってしまったり、という“失敗”もありますが、おおむね“原状回復”をしたらそこでストップがかかる、というのはすごいことだと思いません? だって皮膚細胞には「前はどうだったか」の記憶は無いはずですし(細胞に脳はついていませんから)「前と同じくらいに回復したね」と全体を見渡す目もついていないのですから。
 それでも皮膚細胞は、前後左右上下で押し合いへし合いしている細胞同士の、物理的圧力や化学伝達物質のやり取りで“会話”をしているのかもしれません。

 では、そういった“会話”が困難そうな「歯」はどうでしょう。
 歯にも脳がついているわけでも、お隣の歯やお向かいの歯と会話ができるわけでもないのに、歯並びとかかみ合わせがきちんとできます。歯が左右の歯を眺めながら、「このくらい伸びたらいいだろう」と自分の成長を調節しているとは思えません。それでも左右の場合にはくっついていますから、何らかの影響を与えあっている可能性はあります。難しいのは、口の反対側、自分がかみ合う相手との関係をどうやって調整しているのか、です。こちらでは細胞では使えたかもしれない化学伝達物質も使えませんから、あとは「接触」という物理的な刺激だけが頼り?
 これでちゃんと歯並びやかみ合わせができるのは、本当に人体の神秘だと私は感じます。ちょっと失敗することもありますけれどね。


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腹の中の死に神

 昔急性期の病院で重症者が多く受け持っていたとき、たまに臨終間近の病室に宗教関係の人が集結するのを見かけることがありました。話を聞くと「こうすれば癌の末期でもなおる」という触れ込みで、いろんなスタイルで拝んだり祈ったりしていましたっけ。
 「癌の末期でもなおる」のだったら、もっと軽いときに“治療”すれば良いのに、どうせなら“予防”すればいいのに、何を出し惜しみしているんだろう、というのが私の感想でした(感想です)。
 ことばは悪いのですが「駄目元」で頼んだ、と言うことなのかもしれませんが。

容疑者「男児の腹の中に死に神が」 糖尿病7歳殺害事件」(yahoo!ニュース/朝日新聞デジタル)

 こちらは、駄目元どころか、駄目駄目な「治療」です。
 医者からみた“前提”をまず書きます。
・小児の糖尿病は基本的に1型糖尿病(膵臓のβ細胞が自己免疫で破壊されたため体内にインスリンが絶対的に不足している)。たまに成人型(2型:インスリンが相対的に不足、あるいは分泌はされているが効きが悪くなっているタイプ)が混じっていることもありますが。
・1型糖尿病の治療の基本は、インスリンの補給。ただ小児の場合、成人と比較して、体格が小さいことを割り引いても、インスリンの必要量が少ない印象を私は持っています。これは子供の基礎代謝が高いからかな、と想像していますが、学問的に正しいことを言っているかどうかの自信はありません。
・インスリンが不足すると、糖尿病性昏睡を起して死亡することがあります。
・健康保険が効きます。

 で、この「治療師」の主張は
・病気の原因は腹の中に死に神がいるから
・自分が拝めばなおる
・インスリンは不要、それどころか中止しなければならない
・高カロリーを推奨
・治療費は数百万円

 なんか無茶苦茶だ、と思えますが、実はこれらの主張には「医者の言うことは全部でたらめ」という“スジ”が一本通っています。現代医学を全否定/舌鋒鋭く医者を攻撃したら受けが良い、という最近の日本の風潮を私は憂えたくなりますな。
 私から見たら「死に神」がいるのは、この治療師の腹の中の方なんですけどね。それも真っ黒な死に神が。

 もう一つ、親のことも私は思います。これが「無知の為せる業」なのだったらまだある程度仕方ない(完全な免罪はできないにしてもある程度の減軽はできる)か、とも思えますが、「一生インスリンを打つのは可哀想だから、他の手はないか」と相談したそうです。つまり「知っててやった」わけ。
 「選択の結果が自分に返ってきた」のだったらそれは「自業自得」ですが、この場合「選択は親、結果は子供」ですから「自業他得(こんな言葉はないけど)」です。子供といえども、“他人(他の個人)”ですから「自業自得」ではありません。殺人です。

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改善が喜ばれないこともある

 いつもの、私が体験した事実をベースにフィクション化したお話です。

 病棟で私が主治医となったΩさんは、入院の本来の疾病のほかに、けっこう筋金入りの糖尿病を持っていました。持参薬の複雑なリストを見ると、前の主治医がどのくらい苦心して血糖を押さえようとしたかが見て取れます。ただ、「苦心」と「成果」は比例はしません。糖尿病用のカロリー制限食とし、間食は禁止、飲み薬は持参薬を継承しましたが、一日の血糖は120〜250の間をうろうろと。この血糖を放置するのは健康によろしくない、と私は一時的にインスリンを追加することにしました。私が選択したのは1回注射したら24時間効くタイプのランタス・ソロスターというものです。量はほんの少し、4単位だけ、としました。こんな少量で効くのか、とも思いますが、これがけっこう効くんです。Ωさんの血糖も、1週間後には80〜110に納まるようになりました。まるで別人です。
 ところがΩさんは不機嫌です。「血糖が良くなったのだから、さっさとインスリンをやめろ」と。
 「血糖が良くなった」からといって「糖尿病が治った」わけではありません。一時的に押さえ込んでいるだけ。ただ、インスリンで時を稼いで膵臓を楽にしてやると、膵臓のインスリン分泌が復活してインスリン注射が不要になることがけっこうあります(だから私は「一時的にインスリンを追加」と言っています)。
 ああ、それなのに、「さっさとやめろ」です。
 別に感謝しろとは言いませんが、せめて血糖が良くなったことを喜んだらどうなんだろう、なんてことを私は思います。それとも良くなりたくなかったのかな。
 一応説明はしましたが納得を得られなかったので、私はインスリン注射を中止しました。しかし血糖測定は続けます。で、結果は……元の木阿弥。やめるのが早すぎたようです。で、Ωさんもそう指摘します。「主治医がインスリンをやめるのが早すぎた」と。


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完璧主義者の主張

 他人に対して「完璧であれ」と主張する人自身は、「完璧さ」という点ではどんな人なのでしょう?

1)全然努力をしなくても最初から完璧である
2)すごい努力をして完璧である
3)ちっとも完璧ではない

 1)の人はすごいですね。「自分は自然にできることが、どうして皆さん、完璧にできないの?」ときょとんとするわけでしょう。ただ、こんな人はあまりいないような気もします。

 2)の人は、「自分は努力したらできたのだから、お前らもできるはずだ」という主張でしょうか。ただ、もしこの人が「かつては自分も完璧ではなかった」ときの記憶を持っていて、さらに「努力の大変さと大切さ」を意識していたら、「自分は完璧だ、どうだ」と胸を張るのではなくて「努力の大切さ(と大変さ)」について強調するのではないか、と私には思えます。それと、この努力は有効だがこの方向の努力は無効だ、という知識を共有化してくれたら、それは人類全体の貴重な財産になるでしょうね。

 この世で圧倒的に多数派をしめるのは3)の人でしょう。「自分は完璧ではないから、お前らは完璧であれ」と要求する人たち。しかし、そんなに完璧が好きなら、他人ではなくて自分が完璧になるようにすればいいのにね。

 ということで、他人に対して「完璧であれ」と主張する人の数は、現在の世の中ではちょっと過剰になっている気がします。

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百歳百歳

 昭和の時代には「百歳」はそれだけでニュースでしたが、平成になると「百歳」だけではニュースになりにくくなって「プラスアルファ」が必要になりました。「ふたご」でしかも愛らしい容貌と性格といういくつも「プラスアルファ」があった「きんさんぎんさん」を私は思いだしています。最近ではその「プラスアルファ」がたとえば百歳の人が現役で「詩人をやっている」とか「医者をやっている」でないとニュースにしてもらえないところまで“レベルアップ”しています。製造業には「量が満たされると質が問われるようになる」という法則があったはずですが、“人材”でも似た現象があるのかもしれません。
 しかしこういった「有能な百歳」をやたらもてはやす風潮を見ていると、「元気じゃない百歳はマスコミには無価値なのか」なんてひねくれたことも思ってしまいます。そういえば障害者でも「頑張っている障害者」「パラリンピックのメダリスト」はマスコミにもてはやされますが、そうではない「ふつうの障害者」もこの世にはたくさんいますよねえ。

 そう言えば昭和の時代に私が赴任した田舎町には、当時「日本で2番目の高齢者」が住んでいました。たまたまそのことを知って私が不思議に思ったのは、町内でそのことが“評判”になっていないことでした。ふつう「日本で2番」と言ったらそれなりに“騒ぎ”になりません? ところが町内はひっそり。
 事情はすぐにわかりました。その人は、ご家族の言葉では「とても人前に出せるような状態ではない」寝たきりだったのです。つまり、テレビが撮影に来たとしても、家族としてはそのまま全国に流して欲しくない。「こんな姿をさらしたら本人が可哀想」という感覚だったのかもしれませんし「こんな姿は身内の恥」という感覚だったのかもしれません。
 ともかく「めでたい話題」だったら「めでたい画面」でないといけない、ということでしょうか。
 そういえば女性の入院患者さんでときどき「化粧もしていない顔を人に見られたくない」と言う人がおられます。私は仕事柄素顔に慣れっこなので別にそういった顔に対しては無感覚ですが、「他人には化粧前の顔は見られたくない」という感覚があることは理解しています(電車の中で化粧する人には理解できないことかもしれませんが)。
 ただ、寝たきりの人でも、たとえばその人にお化粧サービスをする、といった形で「絵作り」をしたらそれはそれで「人情話のニュース」になったのではないか、と今の私は思っています。たとえどんな状態の人でも、人は人なのですから。長寿はやはりめでたいことなのですから。


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政治家の資質

 自分が裁判から逃げるのはマスコミが悪いからだ、という主張のようです。

野々村元県議、初公判を欠席=「精神的に不安定」―政務活動費詐取事件・神戸地裁」(yahoo!ニュース/時事通信)

 「あくどい悪戯をやったガキが親のお説教から逃げるために『ぼくが悪いんじゃないもん○○ちゃんが悪いんだもん』と放った言い訳か?」が私の感想です。
 こんなニュースを見ると、「選挙の審判」を受ける前、選挙に立候補するためにまず「政治家にふさわしい資質チェック」を受けてからにして欲しくなります。「自分はこんなすばらしい人間である」という自己主張だけではなくて、これまでの素行も具体的にチェックしましょう。とりあえず重視して欲しいのは、「強欲」「コンプライアンス」「精神的に安定」といった要素かな。もちろん「強欲」はマイナス、「コンプライアンス」と「精神的に安定」はプラスに評価するんですが。おっと、「精神的に安定」も行きすぎて「他人の窮状に無感動」「他人の異論を無視」になるとこれは政治家としてはマイナス評価ですが。

 「そんなことを言う、医師には資質チェックは要らないのか?」という声が幻聴のように聞こえたので、ちょっとそちらも考えてみました。
 組織論で「2-6-2の法則」が良く言われますが、これは医師集団にも言えると私は思っています。ただ、私の実感では「2-6-2」ではなくて「2-7-1」か「3-6.5-0.5」くらいではないか、とは思えますが、あくまで“内部の人間の感想”なので客観性はありません。ともかく「ダメ医師」がいることは残念ながら事実。
 では「医師の資質」にどんなものが必要でどんなものがあってはならないでしょうか。医学知識、医学技術、判断力、決断力、共感能力、コミュニケーション技法、協調性、世間の常識などを思いつきますが、ここで私は困ってしまいます。だって、「臨床の現場の医師」と「基礎研究の医師」と「病理解剖医」と「公衆衛生の医師」、すべて同じタイプの医師が「理想の医師」です? 私は違うと思うんです。
 そうそう、教授や病院長に必要な資質は「経営者の資質」と「政治家の資質」かもしれません。……あらぁ、政治家の資質?(笑)

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