転がるイシあたま

医療系の雑談ブログです

誤射?

 別に撃たれたのが医師でなくても衝撃的なニュースだと思うのですが、 ともかく医師が警察署内で撃たれて死亡したそうです。

 

【ブラジル】警察署内で誤射事件 男性医師が頭撃たれ死亡」(サンパウロ新聞)
 そもそもの原因らしい「オートバイの転倒」が「強盗未遂から逃れるため」というのもよくわかりませんねえ。軍警察官が強盗に襲われて警察署目指して必死に逃げて、最後に入り口でこけた、ということ?  たぶんここからはパニックの連鎖だったのでしょうね。
 ところでこれは「誤射」なのでしょうか。「狙った対象の、頭と胸をきちんと銃撃して命中させている」から「判断は誤りだったが、射撃の腕は確かだった」ということにはなりそうですが。

 ちなみに、日本の警察の場合、オートバイどころか自動車が突っ込んだ場合でも、発砲はないようです。
大村署玄関に組員の車突入、建造物損壊疑い逮捕」(読売新聞西部本社)
 過激な人間だったら「こんな奴は撃たれてしまえ」なんて思うのでは?

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准の伝統

 「「准保育士」導入を検討 政府、子育て経験女性を担い手に 」(日本経済新聞)

 待機児童が出るのは、保育士が足りないから。だったら促成栽培の保育士として「育児経験のある主婦」に「准保育士」の資格を出して人手不足を補おう、というアイデアです(保育士は国家資格ですが、准保育士は民間資格、だそうです)。
 ところで保育士の資格を持った人って、そんなに希少価値なんですか?  私が知っている短大(短大の保育科とか保育短大)では、卒業生の多くが保育士や幼稚園教諭免許を取得していて、そんなに就職口があるのか?と心配になるくらいだったのですが。逆に、それだけの人間が全員就職できるのだったら、それはつまり保育園や幼稚園をやめる人がそれだけいる、ということにもなるはずです。
 もしも資格があるのに保育士の仕事をしていない人が在野に多くいるのだったら、新しい資格を創設するよりも「休眠戦力の掘り起こし」をやった方が良いと私は思います。ただそのためには「なぜその資格を生かさないのか」の原因を調べる必要があります。その過程で「個人の事情」ではない「制度や社会の問題(=失政)」が見つかるかもしれないから、行政はそんな作業は嫌がるでしょうけれどね。

 ここで続けて「准看護師」について書くのが普通なのでしょうが、私はそれとは別の、半世紀以上前のことを想起しました。
 戦争中、日本軍は軍医不足に非常に悩みました。もともと「軍医養成」をきちんとしていなくて、足りない分は民間の医者を戦地に大量動員していたのですが(だから国内でも医師不足でした)、戦線拡大でそれでなくても軍医は不足し、さらに、安全地帯に隔離されている高級軍医以外は前線で仕事をするから、なぜか戦死や戦病死をするので、ますます不足に拍車がかかります。そこで政府は「准」を考えつきました。1940年(昭和15年)に各帝国大学と医科大学に「臨時付属医学専門学校」を作らせて、軍医の促成栽培をしたのです(すぐに「臨時」は頭から取れます)。さらに43年(昭和18年)には「戦時非常措置」によって、各地に医学専門学校を多数新設しました。40年のコースは男子だけで露骨に軍医学校でしたが、43年のは男子校も女子校もありました。女子校の目的は「国内の医師不足対策」です。さらには歯科医師も医専に編入して2年の教育で医師免許を与えるコースも新設されました。さらにさらに45年には「編入」抜きで、歯科医師が直接医師国家試験を受験できるようにします。(*)

*)参考サイト:「医科大学の系譜(1):戦前編」の「5.敗戦まで:戦時下の医学専門学校の大量新増設

 昭和の時代、田舎の医師会で「医学部卒の医者」が露骨に「医専上がり」に優越感を示したり「軍医経験者」が「軍医経験がない医者」を半人前扱いする風潮が見られるところがありました。当時ぺーぺーの私には意味がわかりませんでしたが、戦前から生きている人には重大な社会的および個人的意味があったのでしょうね。
 いくら医師が不足しているからといって(上の参考サイトにもあることばですが)「粗製濫造」をしたら、現場にも制度にもきしみが生じるし、何より患者が不幸になるでしょう。官僚は「書類上はちゃんと軍医が配置されている」と胸を張るのかもしれませんが。だけど戦争が始まってから「准医師」を文字通り泥縄で大量生産して軍医として配備しなければならない点で、すでにその戦いは負けている、と言えそうです。軍医には軍医の専門カリキュラムが必要ですから、きちんと「軍医学校」を戦争“前”に設立しておくべきでしょう。一般医のカリキュラムから手を抜いたら軍医が育つ、というのは、軍医に対する冒涜です。(同様に、「子供の保育なんか准保育士で十分じゃないか」と主張するのは保育と子供に対する冒涜だと思います)
 しかし、医専までは私も知っていましたが、歯科医まで医師にしていたことは知りませんでした。これは無茶です。その逆を考えてみましょう。たとえば私が、短期間の講習を受けるだけで歯科医師国家試験を受けて合格したら、翌日から歯科医として仕事をして良いです?というか、まともにできると思います?

 「保育士」にしても「医師」にしても、「足りなかったら、准○○でお手軽にちゃちゃっと補充すれば良い」というお国の発想は変わりません。「非常時だから」「不足しているから大変だ」といったことばでその発想は正当化されていますが、さて皆さん、だったらたとえば「准政治家」に国会を任せるのが「理想の生活」「素晴らしい社会」なんです?

 

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准の伝統

 「「准保育士」導入を検討 政府、子育て経験女性を担い手に 」(日本経済新聞)

 待機児童が出るのは、保育士が足りないから。だったら促成栽培の保育士として「育児経験のある主婦」に「准保育士」の資格を出して人手不足を補おう、というアイデアです(保育士は国家資格ですが、准保育士は民間資格、だそうです)。
 ところで保育士の資格を持った人って、そんなに希少価値なんですか?  私が知っている短大(短大の保育科とか保育短大)では、卒業生の多くが保育士や幼稚園教諭免許を取得していて、そんなに就職口があるのか?と心配になるくらいだったのですが。逆に、それだけの人間が全員就職できるのだったら、それはつまり保育園や幼稚園をやめる人がそれだけいる、ということにもなるはずです。
 もしも資格があるのに保育士の仕事をしていない人が在野に多くいるのだったら、新しい資格を創設するよりも「休眠戦力の掘り起こし」をやった方が良いと私は思います。ただそのためには「なぜその資格を生かさないのか」の原因を調べる必要があります。その過程で「個人の事情」ではない「制度や社会の問題(=失政)」が見つかるかもしれないから、行政はそんな作業は嫌がるでしょうけれどね。

 ここで続けて「准看護師」について書くのが普通なのでしょうが、私はそれとは別の、半世紀以上前のことを想起しました。
 戦争中、日本軍は軍医不足に非常に悩みました。もともと「軍医養成」をきちんとしていなくて、足りない分は民間の医者を戦地に大量動員していたのですが(だから国内でも医師不足でした)、戦線拡大でそれでなくても軍医は不足し、さらに、安全地帯に隔離されている高級軍医以外は前線で仕事をするから、なぜか戦死や戦病死をするので、ますます不足に拍車がかかります。そこで政府は「准」を考えつきました。1940年(昭和15年)に各帝国大学と医科大学に「臨時付属医学専門学校」を作らせて、軍医の促成栽培をしたのです(すぐに「臨時」は頭から取れます)。さらに43年(昭和18年)には「戦時非常措置」によって、各地に医学専門学校を多数新設しました。40年のコースは男子だけで露骨に軍医学校でしたが、43年のは男子校も女子校もありました。女子校の目的は「国内の医師不足対策」です。さらには歯科医師も医専に編入して2年の教育で医師免許を与えるコースも新設されました。さらにさらに45年には「編入」抜きで、歯科医師が直接医師国家試験を受験できるようにします。(*)

*)参考サイト:「医科大学の系譜(1):戦前編」の「5.敗戦まで:戦時下の医学専門学校の大量新増設

 昭和の時代、田舎の医師会で「医学部卒の医者」が露骨に「医専上がり」に優越感を示したり「軍医経験者」が「軍医経験がない医者」を半人前扱いする風潮が見られるところがありました。当時ぺーぺーの私には意味がわかりませんでしたが、戦前から生きている人には重大な社会的および個人的意味があったのでしょうね。
 いくら医師が不足しているからといって(上の参考サイトにもあることばですが)「粗製濫造」をしたら、現場にも制度にもきしみが生じるし、何より患者が不幸になるでしょう。官僚は「書類上はちゃんと軍医が配置されている」と胸を張るのかもしれませんが。だけど戦争が始まってから「准医師」を文字通り泥縄で大量生産して軍医として配備しなければならない点で、すでにその戦いは負けている、と言えそうです。軍医には軍医の専門カリキュラムが必要ですから、きちんと「軍医学校」を戦争“前”に設立しておくべきでしょう。一般医のカリキュラムから手を抜いたら軍医が育つ、というのは、軍医に対する冒涜です。(同様に、「子供の保育なんか准保育士で十分じゃないか」と主張するのは保育と子供に対する冒涜だと思います)
 しかし、医専までは私も知っていましたが、歯科医まで医師にしていたことは知りませんでした。これは無茶です。その逆を考えてみましょう。たとえば私が、短期間の講習を受けるだけで歯科医師国家試験を受けて合格したら、翌日から歯科医として仕事をして良いです?というか、まともにできると思います?

 「保育士」にしても「医師」にしても、「足りなかったら、准○○でお手軽にちゃちゃっと補充すれば良い」というお国の発想は変わりません。「非常時だから」「不足しているから大変だ」といったことばでその発想は正当化されていますが、さて皆さん、だったらたとえば「准政治家」に国会を任せるのが「理想の生活」「素晴らしい社会」なんです?

 

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首が回らない

 フクロウは外から見るとつぶらな瞳でずんぐりむっくりの体型で愛嬌がありますが、骨格を見たら意外な姿をしています(*1)。足は長くくちばしは鋭く胸骨の竜骨突起も発達していて、やはり猛禽類ですね。

*1)「メンフクロウ全身骨格標本

 ところで、フクロウは頭をくるりと回転させることができますが、あの鳥の頸椎や血管はどんな解剖学的な構造になっているのだろう、と不思議です。骨格標本を見るだけではよくわかりません。
 同じ疑問を持つ人はたくさんいるらしく、その中でちゃんと疑問を科学的な行動に結びつける人もおられたようです。

フクロウの頸動脈はなぜ切れない?米医学チームが解明」(AFPBB)

 なんでも動脈の一部が“リザーバー”となって膨らんで首を捻ったときの血流を確保しているのだそうです。
 映画の「エクソシスト」で、向こう向きのリンダ・ブレアの頭がくるりと180度回転してこちらを向いたときには、悲鳴を上げそうになってしまいましたっけ。悪霊が憑いていない普通の人間は、血管が“リザーバー”になっていない限り真似をしない方が良さそうです。

 ふつうの人間は派手に体をねじることはできません。ラジオ体操のときなどけっこう体がねじれていますが、あれは膝とか骨盤も動員してねじっています。椅子に深く腰掛けて骨盤を固定してねじってみましょう。私の場合は、目分量ですが、おそらく45度くらいが上半身の限界のはずです。
 脳の下には脊髄があります。脊髄は背骨におさまっていて、その隙間から左右に神経が出ています(一番わかりやすいのが肋間神経でしょう)。ということは、あまり体をねじると、脊髄もねじれてしまうことになります。ところが脊髄から左右に出ている神経は固定されています。だから、ねじりすぎたら、脊髄か脊髄から出ている神経か、どちらかが壊れるか、脊髄の血管が圧迫されて閉塞してしまいます。だから「ねじっても安全な範囲」でしか捻れないようになっているわけで、5個の腰椎と12個の胸椎のすべてが「ほんの少しずつねじった」のを足し合わせた結果が「上半身の捻れ」ということになるわけです。
 では首は?  両肩を固定して首をねじってみると、45度よりもう少し捻ることができるようです。私の場合、50度くらいはいけているかな。ところが頸椎は7個です。腰椎+胸椎よりも数は少ない。ではどうして少ない数の骨の自由度(の総計)が高くなるのでしょう。その秘密が、環椎(第一頸椎)と軸椎(第二頸椎)にあります。
 患者さんなどに脊椎骨について説明するとき、私は「だるま落としの積み木」を例とします。積み木の間にクッション(椎間板)が入っていてお辞儀や伸びをしたり体をねじったりできるようになっている、と。ところが環椎と軸椎は、変態的なまでに関節の自由度が高くなっているのです。ものすごく粗雑に言うと、軸椎の突起に環椎の輪っかがはまっていてぐるりんと回転できる、ということになります。

※「ファイル:HWS seitlich Annotation.jpg」(wikipedia)

 この部分の病気として有名なのが「クラウンド・デンス(Crowned Dens)症候群」です。ここでの「Crown」は名詞ではなくて動詞ですが(動詞があることを恥ずかしながら今回初めて知りました)、要するに「痛くて首が回せない」人の中に、この環軸関節に偽痛風の発作が起きた場合があって、そういった人のCTを撮ると「王冠のような」石灰化がしっかり見えるのが特徴なのだそうです。残念ながら単純レントゲンではしっかり診断ができないそうです。ただ、私には「王冠」というより「指輪」のように見えますが。

※「Crowned Dens Syndrome」(The NEW ENGLAND JOURNAL of MEDICINE)(私の環境では、画像が出てくるのに少し時間がかかりました)

 「急に首が回らなくなった」人は、CTを撮ってもらった方が良い場合があるということですので、医者にかかってください。ところで「首が回らない人」に対して昔の医者は薬袋に小判を入れて出してくれたこともあるそうですが、今の医者にそれは期待しないでください。そもそも小判を持っていませんから。

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文字通り(2-122)「鰯」

「鰯油」……鰯が分泌する油
「鰯酸」……鰯が分泌する酸性物質
「鯛の尾より鰯の頭」……鯛の頭は絶対に言わない
「鰯で精進落ち」……少なくとも精進落としはできる
「鰯の頭も信心から」……鰯の頭で鬼を払えると信じる
「小鰯鯨」……小さな鰯のような鯨
「干潟の鰯」……なぜ魚の代表に鰯が選ばれたのかは、謎
「潤目鰯」……涙目の鰯
「裸鰯」……ヌードの鰯
「真鰯」……偽物ではない鰯

 

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対抗訴訟はいかが?

 ラジオで交通情報を聞いていると「中央線は“人身事故”のため○○と××の間で……」なんてことをよく言っています。そんなに人身事故が多い路線ってなんだろう、と以前は思っていましたが、今は慣れてしまったのか、飛び込みは月曜日に多いのかな、なんてことを平然と思っている私がここにいます。
 そういった“事故”を減らすために、「飛び込んだら遺族に巨額の賠償請求が」と周知するのは、一定の抑止効果があるかもしれません。問題は「それがどうした」と腹をくくっている人(確信を持っての行動)と、「それって、何?」の認知症老人や幼児(純粋な事故)でしょう。

 「選択肢は座敷牢?」を書いた後で「JRに訴えられた遺族が対抗訴訟を起こしていたらどうなっただろう?」と思いつきました。「認知症老人のように判断力が低下した人間を、やすやすと命が危ないところに誘導するような環境設定をしたJRの責任を問う」という訴訟です。下手すると「線路全線の安全確保要求」につながる無理筋のようですが、「病院で人は死んではならない」なんてことが要求される無理筋医療訴訟で医者が負けることに慣れてしまった私には、そこまでの無理な話には思えません。請求金額は、JRが請求したものの10倍でどうです?  認知症老人の“値打ち”はそこまで高くない、と思う人もいるでしょうが、家族を失った悲しみは同じでしょ?

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祈りを折る(2)

久留米のグルメ
血流が多いと流血が多い
孫の係
一石二鳥/一朝一夕
ソフトなリフト
臆病者/腺病者
観光客が来たい街/観光客が来ない街
スカートのストーカー
ニンジンのエンジン/エンジンにベンジン
理想の上司/理研の上司

 

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都合の良い目標

 病棟に患者さんが入院してきたら、私は治療目標を立てます。高血糖発作だったら血糖を低下させ安定させる/肺炎だったら肺炎の原因をたたいて健康を取り戻す。このへんはシンプルで特に問題を感じませんし、患者さんと意見が対立することは(あまり)ありません。しかし世の中にはそんなに単純には進まない話もあります。

 いつものように現実のエピソードを元にフィクション化した話ですが、どういじってもかならず「現実とそっくりそのまま」のケースは存在するだろうと思います。その場合にはそれは偶然の一致です。

 入院してきたΩさん。脳卒中のために重度の片麻痺・重度高次脳機能障害・重度の失語と後遺症がほとんど“フルセット”でそろっていて、さてリハビリテーションをどうしようか、ということで、当然「リハビリで目指す目標」が必要となりました。
 シンプルに言うと、脳卒中の後遺症は、ものすごい重度の場合にはあまり回復が期待できません。言葉は乱暴ですが、とことん破壊尽くされた、という印象です。逆にものすごく軽度の場合にもあまり回復が期待できません。だって“伸びしろ”がほとんどありませんから。“真ん中”が良く伸びます。で、Ωさんはその前者、脳卒中が重すぎて大きな回復は望めない、という状態でした。ただ、脳の浮腫がもう少し取れてきたら“仮死状態”の脳細胞が復活することはあるでしょうし、もし脳細胞のネットワークが新しく形成されたら機能が少しずつ回復することも期待できるでしょう。麻痺していない側が麻痺側をカバーする動きを覚えたらそれなりに日常生活は便利になることが期待できます。それでも、車いすに安定して座ることができて誰かの介助があれば日常生活が送れるくらいまで回復するためには、おそらく最低2箇月くらいはかかるのではないか、それ以上の伸びは残念ながら期待できないのではないか、というのが私の見立てでした。そこでそれをベースに「目標」を立てそれを現実にするための「手段」を構築しようと考えます。
 Ωさんのご家族から示された「目標」は違いました。「4週間後に、すたすた歩ける・日常生活で自分のことは自分ですべてできる・会話もすらすらとできる」。まるで「脳卒中は存在しなかった」と言わんばかりの設定です。さらにこの「目標」に合わせて「日次目標」も示されます。「毎日これだけ能力が伸びたら、達成可能でしょう?」と。
 もちろんその「目標」が達成できたら、とても嬉しいことです(Ωさんも私も含めて)。だけど、私のこれまでの経験の範囲内では、現実はそんなに都合良くは動いてくれません。「都合」と言えば、「Ωさんの家族の目標」は「家族の都合」から導き出されたもので「Ωさん個人の現在の現実」と「一般の脳卒中後遺症という現実」が一切反映されていない点で「家族にだけ都合の良い目標」となっているように私には思えました。もちろん明日になったら「脳卒中リハビリテーションの革命的な新技術」が発表になって、Ωさんがめきめき良くなる、という可能性はゼロではありませんが。


 ここから「都合の良い目標(2)」です。

 たとえば製鉄会社で「効率を追求するのが社是である。今年度は鉄鉱石1万トンから銑鉄1万トンを効率よく生産することが目標である」なんて“数値目標”を経営陣に立てられたら、現場は困りません?  明日になったら「製鉄の革新的な新技術」ができて、その「目標」が達成できることになる可能性はゼロではありませんが、「現時点」では「現場」にできることには限界があるのです。経営陣の「都合の良い目標」通りには動いてくれない「限界」が。

 たとえば出生率の国家目標「2.07」は「国にとっては“都合の良い目標”」です。結果はもちろんそうですが、その経過に関しても、ご自分は「未来はこうなるべきである」という目標を立てるだけで「あとは誰かが何とかしろ」と言えたら、さらに都合が良いでしょう。もちろん明日になったら社会ががらりと革新されて妊娠可能な女性はばんばん妊娠している、なんてことになる可能性はゼロではありませんが、それはそれで社会にものすごいストレスを与えそうな気がします(とりあえず産科の態勢をどうします?)。
 そうそう「女性の雇用促進」「女性の社会での活用」というきれいごとと「出生率回復」を組み合わせる手を思いつきました。「妊娠/出産」の職業化です。「プロとしての妊婦・産婦」。今は「代理母」という名前でほそぼそと民間で活動されていますが、それを「プロ化」する、いや、国策なのですからいっそ「国家公務員」にしてしまいましょう。「妊娠をして出産をする」のが公務員としてのお仕事です。「どこにお勤めですか?」「はい、出生率回復省です」「ああ、出産省に。お勤め、ご苦労様です」「いえ、在宅勤務なんですけどね」。これだったら「野良妊婦」は生じにくくなるでしょう。“誇りある職業”だし、妊婦健診も出産もその後の子供の養育も国家が保証してくれるのですから。そうそう、かつての赤線と同様に性病管理も公的に行うから、先天梅毒などからの子供の安全性も高まります。
 応募者がいない?  その場合は、格差社会をどんどん進行させて極貧層を増やしたら、どこぞの国の「食えないから、志願兵になろう」と同じように「これでは食えないから、出産省に志願しよう」という女性が増えるでしょう。生活保護世帯の女子にも「お国のお世話になって育ったのに、お国にご恩を返さないのか?」と強い「勧誘」を日常的に行います。ここまではあくまで「個人の意志」です。だけどそれでも駄目なら、皆さんがお好きな「強制配置」の出番ですね。妊娠可能な人の「出産省以外の場」から「出産省」に強制移動。有り体に言うなら、徴兵と同様の徴母ですが、それが何か?  徴母逃れに結婚する人が増えた?  良いじゃないですか。結婚したら子供ができる確率が増えるのですから、それはそれで出生率回復に役立ちますよ。

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健康的な微笑み

 いつもの、20世紀の思い出話(のフィクション化されたもの)です。

 むかしむかしある病院のある病棟で、病棟婦長(今の言葉なら病棟師長)が「微笑みいっぱい運動」とでも呼べる“運動"を始めました(もうちょっとロマンチックな名前がついていたと思うのですが、忘れました)。患者さんに対して暖かい微笑みを忘れずに、と、鏡の前での自主トレーニング、お互い向き合っての笑顔のチェック、管理職からのチェック、とそれはもう厳しい「トレーニングとチェック」です。だめ出しがまた強烈。「笑顔が不自然だ」「それは笑顔とは言わない」「そんな表情では心が伝わらない」……脇から見ていると、だめを出す方も出される方も、だんだん顔が引きつっていくのがなんともはや、でした。
 そのころその病棟に、λさんという患者さんが長期入院していました。難しい状態で時にはさすがに悲しい表情をされますが、大体いつもにこやかに過ごされていました。不思議なのは、この人のところに行くとなぜか気持ちが元気になるのです。話をしていると、相手に何を押しつけるのでもないのですが、相手の何か良いところを必ず見つけてくれるのです。しかもそれを「あなたはなんてエライのでしょう」ではなくて「あなたのそんな素敵なところで、私は嬉しい気持ちになった」と伝えてくれます。他人に対してだけではなくて、ご自身も穏やかでポジティブな姿勢で生きようとされていました。だから静かな笑顔のλさんと話をしていたら、こちらは自然と笑顔になります。笑顔と笑顔が増幅を始めます。
 「健康な人間の引きつった笑顔」と「病気の人間の素敵な笑顔」の対比を見ると「健康的って、なんだろう」と私は思いましたっけ。実は今でも思っていますが。

 

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健康的な微笑み

 いつもの、20世紀の思い出話(のフィクション化されたもの)です。

 むかしむかしある病院のある病棟で、病棟婦長(今の言葉なら病棟師長)が「微笑みいっぱい運動」とでも呼べる“運動"を始めました(もうちょっとロマンチックな名前がついていたと思うのですが、忘れました)。患者さんに対して暖かい微笑みを忘れずに、と、鏡の前での自主トレーニング、お互い向き合っての笑顔のチェック、管理職からのチェック、とそれはもう厳しい「トレーニングとチェック」です。だめ出しがまた強烈。「笑顔が不自然だ」「それは笑顔とは言わない」「そんな表情では心が伝わらない」……脇から見ていると、だめを出す方も出される方も、だんだん顔が引きつっていくのがなんともはや、でした。
 そのころその病棟に、λさんという患者さんが長期入院していました。難しい状態で時にはさすがに悲しい表情をされますが、大体いつもにこやかに過ごされていました。不思議なのは、この人のところに行くとなぜか気持ちが元気になるのです。話をしていると、相手に何を押しつけるのでもないのですが、相手の何か良いところを必ず見つけてくれるのです。しかもそれを「あなたはなんてエライのでしょう」ではなくて「あなたのそんな素敵なところで、私は嬉しい気持ちになった」と伝えてくれます。他人に対してだけではなくて、ご自身も穏やかでポジティブな姿勢で生きようとされていました。だから静かな笑顔のλさんと話をしていたら、こちらは自然と笑顔になります。笑顔と笑顔が増幅を始めます。
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