転がるイシあたま

医療系の雑談ブログです

ひのえうま

 大正とか昭和の古い人口ピラミッド(「国勢調査e-ガイド」)を見ると、1906年の丙午で出生数は少し落ちてはいますが、昭和の1966年のほど大きな影響を人口ピラミッドに残していません。ふうむ、明治の人間と昭和の人間と、どちらが迷信深いのでしょう?

 過去の次に未来を見ましょう。

 「日本の将来推計人口(平成18年12月推計)―――― 平成18(2006)年~平成67(2055)年 ―――― 」というページにある
日本の将来推計人口(平成18年12月推計)
の15ページに、2005年・2030年・2055年の「人口ピラミッドの変化」があります。これを眺めているといろいろな感想が持てます。
 まずは2005年のピラミッドですが、60歳〜70歳くらいのところの切れ込みとその下の突出は、戦争の影響とベビーブームでしょう。40歳くらいのところの切れ込みは、1966年の「丙午」。ここまではっきり人口が減るくらい、迷信が強く作用したんですね。
 それが年月が経つとそのまま上に持ち上がっていき切れ込みはだんだん目立たなくなります。そして注目するべきはその“足元”。この推計では次の「丙午」(2026年)では影響が出ない、と考えているんですね。私も影響が出ないことを切に願います。それでなくても少子化なんですから。
 さて、2055年の“ピラミッド”はもう「縄文土器(壺タイプ)」です。しかも全体的に段々痩せてきている。その次の丙午(2086年)ではどんなことが起きるんでしょうねえ。それとも「毎年が“丙午”」?


PageTop

3つの願い

 西洋の小話で人気のあるテーマの一つが「悪魔に3つの願い」です。願いの数を増やすこと以外は何でも望みが叶うと聞いて少しでも得をしようとあたふたする(そして結局思った結果は得られない)人間の姿を楽しむお話のジャンルですが、ここで不思議なのは「悪魔は必ず願いを叶えてくれる」こと。だって、神様にいくらお願いしてもその“打率”は非常に低くありません?  まず叶えてもらえないと思った方がよい。それなのに悪魔は10割です。これって異常な前提に思えます。悪魔の方が“力”がある、と人間が期待しているわけですから。

 「3つの願い」ほどほのぼのしていない「超自然的な頼み事」に「呪い」があります。これも「悪魔(あるいは邪悪な存在)」との取り引き(または自分の怨念の発動)ですが、これまた期待値は“打率十割”でしょう。だからこそ、呪いは恐れられました。誰かに呪いをかけられたら自分には絶対に悪いことが起きる、という確信があったから恐れられるわけです。「長屋王の変」などかつて貴族の世界では「呪い」を軸とした陰謀や社会的な動きやフィクション(『宇治拾遺物語』での「藤原道長に対して蘆屋道満がかけた呪い」など)がたくさんありましたが、そういった「確信」「期待」だけで現実が動いてしまうのです(実体経済とは無関係に「下がるに違いない」と確信を持つ人が増えたら株価が本当に下がる、みたいなものですかね)。

 そういえば、「悪魔に3つの願い」で「呪いを3つ叶えてくれ」というのはありませんねえ。“打率十割”で叶えてもらえるのに。これは、「悪魔(的存在)」に惹かれてしまう自分の本性に、どこかで歯止めをかけようとする人間の努力の表れなのかもしれません。もっとも、「3つの呪い」だと、一般的な「悪魔に3つの願い」話よりも、願った人がもっともっと悲惨な目に遭ってしまいそうな気もしますが。

人気ブログランキングに参加中です。励みになりますので、クリックをよろしく。

PageTop

別の視点

 私は若い頃に推理小説が大好きで、翻訳されていたいわゆる本格推理小説を主に文庫で次々に読みあさっていました。で、一種の“思い込み”が生じるわけです。「推理小説は謎解きだ」と。エラリー・クイーンでは「読者への挑戦状」なんてものもあるから、ますます謎解きの楽しみを味わおうと読んでいきました。だから、テレビの「刑事コロンボ」では驚きました。事件を見る「視点」が、探偵ではなくて「犯人」にあったからです。これはショックでした。
 ただ、考えてみたら、「視点」というのは人の数だけあるわけで、だったら推理小説の「視点」を「探偵」と「犯人」に限定する必要もないわけです。いろいろ考えられますが、ただ一つ「殺される人の視点」は難しいですね。『アイアース』(*1)(ソポクレース)のように、お芝居の途中で殺された人の死体がずっと舞台中央にあってそこで劇の進行を“見守っている”なんて変則的なやり方もあることはありますが。あるいは映画の「サイコ」(ヒッチコック監督)のように、最初は被害者の視点で始まって途中からがらっと視点を切り替える、というやり方もあるかな。おっと、アイアースもサイコも「推理小説」ではありませんでした。

 医療を扱う文学でも同じように「様々な視点からの物語」を語ることができます。闘病記とか医者を告発するぞの「患者の視点」、マスコミやルポライターの視点、そして医者の視点が現在得られる主なものでしょうが、もうちょっと別の視点からの物語も読んでみたいと思っています。そうだなあ、神の視点とか救急車や救急室の天井からの視点とかウイルスの視点とか。


*1)『アイアース』ソポクレース 著、 木曾明子 訳、 岩波書店(「ギリシア悲劇全集4」)、1990年、4369円(税別)



PageTop

時間制限

 すべてMedicalTribuneの記事です。
1)「労働時間規制は医師・患者双方に有害」(2008)
2)「医師の労働時間制限規定が患者ケアにも悪影響」(2009)
3)「研修医の労働時間制限 米国では教育や患者アウトカムへの影響小さい」(2011)
4)「英国 研修医にも週48時間勤務が定着」(2011)

 順番に読むと、面白いですね、
 「欧州労働時間指令EWTD」が研修医の“労働時間”をどんどん短縮しているのだそうです。
 1)は2007年にEWTDが「週に56時間」に制限したことへの反応。
 2)はそれがさらに厳しくなって、「週48時間」になったことで生じた“悪影響”について。
 3)では、ちょっと論調が変わってきています。
 そして4)ではそっけなく、イギリスでも研修医の「週48時間労働」は定着した、と事実だけ。

 ただ、3)にありますが、一番大切なのは「患者の便益」。
 で、2)の「Jackson博士らは,外科の認知技能や手技をマスターするには1万5,000~2万時間を要すると推定している。」が事実だとしたら(感覚的に、これは事実だろうと私は感じます)、一週当たりの労働時間を短縮するのなら、労働の効率化と研修期間の延長が必要になるでしょう。
 私は古い医者なので、「週48時間」を読んだ瞬間「ふにゃ?(それで大丈夫なのか?)」という反応でしたが、日本はこれからどうなるんでしょう。厚労省は「質の高い医療を行なうことによって患者の便益をはかる」なんて政策を行なう気はなさそうですし、「海の向こうでは変なことをやっている」くらいの感覚かな?

人気ブログランキングに参加中です。励みになりますので、クリックをよろしく。

 

PageTop

死語(153)私作る人

 3〜40年前の「ワタシ作るヒト、ボク食べるヒト」というテレビコマーシャルが「女性差別だ」と大問題になり、すぐに放送が打ちきられる、という騒ぎがありました。
 この時代にはまだ「男子厨房に入らず」が生きたことばでしたが、同時に「ウーマン・リブ」とか「中ピ連」いうものも勢力が盛んになっていました。
 で、「女性差別だ」という論拠は「ワタシ=女」が「作る人」で「ボク=男」が「食べる人」と明言するのは性別による役割分担を容認・固定化することである、けしからん、ということだったはずです。
 なるほどねえ、とワタシは、もとい、私は思いましたが、同時に首も傾げていました。
 というのも、「ワタシ作るヒト、ボク食べるヒト」と聞いたとき、「あ、そんな役割分担が社会で広く行なわれているんだ」と再認識できたからです。これを聞かなければもうしばらくはあまり深く考えずに『世の中って、こんなもの(男子厨房に入らず)さ」となんとなく思いながら私は生きていったことでしょう。そこにあのコマーシャル。つまり「言語化」には、無自覚な人間に「そうだ、そんなものがあったんだ」と気づかせるという“効能”があったのです。「気づき」があれば次は「思考の深化」です。で、「ふ〜ん、ということは……」なんて考え始めているところに、声高に「性差別は許さない!」。私は差別は嫌いですが、「おかだはこう考えるべきだ、こう行動するべきだ。それは全部こちらが決めてやる」と価値判断の押し付けをされるのはもっと嫌いなのです。
 あそこで“抗議”をするにしても「このままだと女性差別に見えますよ。ついては同じ出演者でこんどは男女を入れ替えたバージョン(「ボク作るヒト、ワタシ食べるヒト」)を流されたら、意外性があって受けるんじゃないです?  オチもつくし」なんて“提案”をしたら、みんなが得をした(男女差別について考える人が増える、コマーシャルが評判になり結果として商品が売れる)かもしれないんですけどねえ。
 社会を変えるための民主主義的な方法というのは「両極端の、意見が凝り固まった人たち」の中間にいる“無党派層”をいかに自分の陣営に引き込むかの手続き、だと私は思っています。だって「凝り固まった人たち」はどうせ考えを変えないでしょ?  そちらに働きかけるのは“コストパフォーマンス”が悪すぎます。性差別撤廃に関してだったらがちがちの「女性差別主義者」と「男性差別主義者」と「性同一性障害者差別主義者」は放っておいて、その“中間層”にいかに自分の意見に魅力があるか、をアピールしたら良かったのにね、と思うだけです。もっともあれはもしかしたら「女性差別反対」を叫ぶ「男性差別主義者」の主張だったのかもしれませんが、それだったら私は近づきたくないな。
(あ、実際には私は自炊生活ができる程度の“腕”は持っていた(「食べるヒト」だけではなくて「作るヒト」でもあった)ことは、書いておきます)


PageTop

幻覚なルール

 昔「国民総背番号制」という構想を自民党政権が持ち出したことがありましたが、なぜか潰れました。「脱税が難しくなるじゃないか」とか、どこかに抵抗があったのかな?
 で、こんどは「マイナンバー法案」ですか。まるで電話番号とか車のナンバープレートみたい。
 アメリカ映画ではよく「社会保障番号」が登場しますが、私個人としてはそういった「個人に一つの識別符号」というものには、おおむね賛成です。たとえば共通カード一枚に受診歴とか薬アレルギー情報とかが入っていたら、新患受付で一々そういった質問をしなくてすみますから。
 ただ、情報管理の点で、心配が。テレビニュースでは「ルールは厳格に定める」なんて政府の人が言っていましたが、問題は「ルールが厳格かどうか」ではなくて、「その厳格なルールがちゃんと守られるかどうか」です。年金情報のような大切なデータでさえきちんと管理できなかった(平気でなくしちゃった)とか、年金不加入問題のときに有名人のデータが漏れて出た(データの覗き見をした人がいる)とかの“立派な実績”のことを思うと、政府に「どうか自由に管理をしてください」と手放しで信頼して任せる気にはなれないんですよ。

人気ブログランキングに参加中です。励みになりますので、クリックをよろしく。

 

PageTop

アリナミンテスト

 『争うは本意ならねど』(木村元彦)(*1)を読んでいて、「にんにく注射」ということばから「アリナミンテスト」を思い出しました。
 アリナミンテストを詳しく知っている人はここで話はおしまいです。

 私自身、学生時代に耳鼻科の授業でこのテストを教わってから1回も経験がない検査ですので、知識を確認するために教科書とネットを見てしまいました。
 五感と言いますが、その一つに嗅覚があります。これが障害されると、てきめん飯がまずくなります。(嘘だ(味覚は残っているのだから味は変わらないはずだ)と思ったら、鼻をつまんで食事をしてみてください。驚きますよ(私は学生の時に実験してみました。もちろん風邪や花粉症などで鼻が詰まったときに皆さん体験済みでしょうが)。あ、やってみるのはけっこうですが、鼻をつまむと鼻呼吸を止めることになるし、鼻をつまんでのみこむと耳抜きになってしまうから、それにはご注意を)  嗅覚障害は障害の場所によって、物理的な障害(鼻粘膜が腫れたり傷ついている)・嗅細胞の障害・嗅神経や脳の障害、に大別されます。で、嗅細胞がちゃんと活動しているかどうかを確認するテストの一つが「アリナミンテスト」です。アリナミン(ビタミンB1誘導体)を腕に静脈注射すると、正常なら数秒で肺に到達しそこで気化して肺胞内に、そこから呼気に乗っかって鼻の粘膜に届きます。嗅細胞が生きていたら、そこで「ニンニクのにおい」を感じます。これを感じられなかったり感じるまでに異常に時間がかかったら、嗅覚障害の疑いが濃厚です。

※ビタミンB1はアイリナーゼという酵素で破壊されます(アイリナーゼは山菜に豊富に含まれていますが、わらびはアク抜きで熱湯をかけたらアイリナーゼが失活するから食べても問題ありません)。しかしニンニクの臭み成分のアリシンとビタミンB1(チアミン)が結合したアリチアミンはアイリナーゼで破壊されません。そのにおいを減らしたB1誘導体がフルスルチアミン(=アリナミン)です。
  参考サイト:「フルスルチアミンの誕生」(アリナミン)

 各種のにおいを濃度を変えて検査するT&Tオルファクトメーターによるテストというのもあるのですが、これは授業で習ったかどうかは覚えていません。味覚テストで各種の味の液を濃度を変えて舌に垂らして、というのを習ったのは覚えていますが。


(*1)『争うは本意ならねど』木村元彦 著、 集英社インターナショナル、2011年、1500円(税別)
 2008年、当時川崎フロンターレでプレイしていてオシム監督に全日本に抜擢されたFW我那覇選手が「にんにく注射」をしたということでドーピング違反に問われた事件のことを覚えている人はどのくらいいるでしょう。実はあれは「冤罪」でした。サンケイスポーツの誤報に基づくJリーグの早とちり。ところがJリーグの頑固者たちが自分のミスを認めないために、「このままではまともな治療ができなくなる」とJリーグ全チームのチームドクターが立ち上がりました。JADA(日本アンチドーピング機構)・WADA(世界アンチドーピング機関)・FIFA(国際サッカー連盟)と話がどんどん大きくなり(話が大きくなるだけではなくて、どこも「Jリーグの方が間違っている」と言うものだから頑固者はますます頑なになり)、とうとうCAS(スポーツ裁判所)にまで話が持ち込まれ、そこでも我那覇側の“勝ち”。しかし……という非常に興味深いお話です。単なる「我那覇側に肩入れしたストーリー」ではなくて、アンチドーピングとスポーツ医学に関する重大な指摘を含み、さらにJリーグ(もしかしたら日本スポーツ界全般)が持つ「ルールよりも解釈が優先」「先輩の言うことは後輩には“絶対”」という“病”の重さについてきわめて具体的に詳述した本です。
 あ、そうそう、最後のあたりに、我那覇側とJリーグで判断が分かれたCASの裁定文の一部が英語でそのまま紹介されています。「どちらが正しいか(と、英語力があるか)」に興味のある方は、そこだけ読んでみるのも一興ですよ。一驚するかもしれませんが。


PageTop

肩幅

 人間の身長や体重はものすごいばらつきがあります。私が現在勤務している病棟を眺めても、身長だと130cm〜190cm、体重だと35kg〜120kg。最小と最大で、身長だと1.5倍、体重は3倍以上の比率です。では、逆に、体格関連であまり比率が変らないものはないか、と考えて「肩幅」はどうだろう、と思いつきました。すれ違うために廊下の幅が2mも必要な人って、考えにくいですからね。
「男性の肩幅の身長別平均」と「女性の肩幅の身長別平均」」を見ると、やはり差が少ないようです。n値を増やしたらもうちょっと違った傾向が見えるかもしれませんが、分布図でバストやウエストやヒップに比較して身長とわりときれいな相関を描いているのが面白い。もっときれいなのは足のサイズですが、やはり軟部組織ではなくて骨が重要なサイズは、ばらつきが少なくなるのでしょう。
 お相撲さんやプロレスラーだとすごく“分厚い”肩幅になりそうですが、あれは「肩+上腕の筋肉の厚み」ですよね?  トレーニングで鎖骨や肩胛骨がぐんぐん成長するとは思えませんから。

人気ブログランキングに参加中です。励みになりますので、クリックをよろしく。

 

PageTop

小発作

 私の目の前を、目が据わった人がまっしぐらに歩いていってそのまま閉じたドアに激突したことがあります。瞬間に思ったのは、「あ、小発作」でした。

 「てんかん発作」と言えば、「全身が激しくけいれんして、『舌を噛まないためにスプーンをかませなきゃ』」の「大発作」が有名です(実際には、発作中にスプーンをかませると、食いしばる動きに逆らうことになるので、歯を折ったり口の中を傷まみれにするので、やらない方がよいです)。ところで「大発作」があるということは「小発作」もあるのです。(中発作はありません、たぶん)
 「大発作は発作の程度がひどいもので小発作は程度が軽いもの」ではありません。発作の性質が全然違うものです。大発作は大脳皮質全体が発火興奮した結果全身の筋肉がばらばらに収縮するものです。それに対して小発作は「欠神発作」とも呼ばれますが、痙攣は生じず、意識が短時間だけ消失するものです。目はふつうぼんやりと一点を見つめています。
 私が目撃したのは、歩行中に小発作を起こして、そのまま歩行を継続して突進した現場でした(倒れているところにすぐかけつけ、大きな怪我がないことを確認した上で、専門医受診を勧めました。知人でしたので、後日私の予想が当たっていたことを教えてもらいました)。
 なお、この「大発作(強直発作と間代発作に大別できます)」と「小発作」に「ミオクローヌス発作」をプラスしたものを「全般発作」と呼び、脳の一部だけが異常興奮する痙攣発作を「部分発作」と呼びます。
 部分発作もまたいくつかに分類され、しかもその中に「二次性全般化発作」という、大発作とほとんど同じ発作が含まれているので話がややこしい。この分類のややこしさは、医学生だった私には医学生泣かせでした(私だけ?)。そして今では医者泣かせです(私だけ?)。


PageTop

消えた年金

AIJ投資顧問に1カ月の業務停止命令、運用資産き損で」(朝日)
 「投資運用業」は「規制緩和」でかつての「認可制」から「登録制」に変わった、とラジオのニュースで、ついでのように言っていました。
 ちんぷんかんぷんなのでネットで調べると「有価証券に係る投資顧問業の規制等に関する法律」では「投資一任契約」を結ぶ「投資顧問業者」がそれまではお役所の認可制だったのが、法律の廃止(平成18年)によって登録制になった(かわって「金融商品取引法」が制定された)、ということのようです。
 ということは「小泉改革」ですね。もちろん、「認可」であっても悪徳業者は悪徳をするのでしょうし“監督官庁”は碌な“監督”はできなかったかもしれませんが、それでも“敷居”を低くするという“効果”が出てしまったとは言えないでしょうか(小泉一派は絶対に“責任(あるいは悪影響)”を認めないでしょうけれど)。

 ……結局「小泉改革」って、日本の何をどのくらい良くして、何をどのくらい悪くしたんでしょう?  少なくとも労働市場と医療を見る限りは「良<<悪」のようですけれど、どこか「良>悪」の分野があります?  “目玉”だった「郵政民営化」はどうでしたっけ?  あ、わが家の簡易保険、大丈夫かな?


PageTop