転がるイシあたま

医療系の雑談ブログです

津波警報

 本読みの私が「津波」ですぐ思い出すのは、『つなみ』(パール・バック)です。そう言えば、この作品が映画化されたとき(タイトルは「大津波」)、原作者自らが日本にやってきて映画の撮影現場でずっと見学(見物?)をしていたのは、よく知られた話でしょうか。(*1)

 今回の津波警報では、特に三陸の「大津波警報」が目立っていましたが、この地域は古くから繰り返し大津波に襲われています。歴史に残っているのは、貞観の大津波(869年)・慶長の大津波(1611年)です。安政三年(1856)にも津波がありましたがこのときの損害は軽微でした。ところがこの「損害が軽微」が次の津波への備えをおろそかにすることになります。
 明治三陸大津波は、明治29年(1896)6月15日(旧暦では5月5日端午の節句)夜8時頃に襲ってきました。陸で感じた地震は軽いものでしたが津波は巨大で、最大波高38.2m。死者は、北海道6人青森340人宮城3400人岩手18000人(概数)。被害戸数は約10000戸でした。
 昭和8年(1933)3月3日朝3時前後、「昭和の大津波」が三陸を襲います。最大波高28.7m、死者は約3000人でした。明治の教訓があり、地震後海を見張っていた人が多かったことが前回と比較して死者の減少を生みました。
 昭和35年(1960)5月24日には、チリの大地震による大津波が日本を襲います。実は1952年に三好寿(津波の専門家)が「チリからの津波を警戒するべき」とすでに述べており、当日もハワイから気象庁に津波の情報が電報で届いていたのですが気象庁は「チリから日本に津波が届くことはあり得ない」と無視したため警報が遅れ、142人が死亡しています。専門家の当てにならない(とお役人が判断した)予測は無視するにしても、ハワイからの電報を無視しなければ、この死者は出ませんでした。(*2)

 で、「前回の教訓」が今回は生かされたわけです。
 結果を見て「今回は騒ぎすぎ」という感想を持つ人もおられるでしょうが、その逆よりはるかにマシです。それに少なくとも「チリから津波が日本に来る」ことは当たったわけですし。よく「警報を軽々に出すとパニックを招く」と嫌う人がいますが、たとえば今回パニックはどのくらい起きましたっけ?  めったに起きないパニックをそこまで怖れなければならないのは、なぜなんでしょう?(*3)

 ところで、「チリからの津波が日本に到達する」ということは、“逆もまた真なり”で「日本からの津波も太平洋の向こうまで到達する」ことを意味します。日本では近い将来(今世紀中?)、東海・東南海・南海などの大地震が起きることが高い確率で予測されていますが、それが起きたときに、太平洋の反対側(北・東・南)へも「津波警報」を出せる体制はきちんと作ってあるのでしょうか?



*0)『つなみ』パール・バック 著、 黒井健 訳、 径書房、2005年、1500円(税別)

*1)『潜る人 ──ジャック・マイヨールと大崎映晋』佐藤嘉尚 著、文藝春秋、2006年、1571円(税別)
*2)『津波と防災 ──三陸津波始末』山下文男 著、 古今書院、2008年、2500円(税別)
*3)『人は皆「自分だけは死なない」と思っている ──防災オンチの日本人』山村武彦 著、宝島社、2005年、1200円(税別)



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読書感想『楢山節考』

 山また山の信州、その奥まったところに存在する名前がない山村。
 村に圧倒的に足りないのは、食料です。村でハレの行事は年に1回の「楢山祭り」で、その日だけは御馳走(といっても白米のご飯が中心)を村人は腹一杯食べることができます。しかしそれ以外の日は、たとえ盆正月や結婚の日であっても雑穀と野菜の汁程度の粗食が続きます。
 村に過剰に存在するのは、人と歌です。口減らしのために嬰児殺しも平然と行なわれている様子ですが、貧しさゆえに「労働力」も必要です。ところが「労働力」が充実したら「口」が増えて食料確保が苦しくなる……悪循環なのです。そして「歌」。盆踊り歌が次々替え歌となって歌い継がれていますが、その中には村人の生活と思い(多くはネガティブなもの)が込められているのです。本作では、来年七十歳になる主人公のおりんの人生の描写が淡々とされますが、同時に実に様々な「歌」が登場しその内容に対する考察が積み重ねられることで「村の生活と歴史」が読者にわかる、という仕掛けになっています。まるで民俗学のレポートのように。
 その手法、およびタイトルから、私は柳田國男の『蝸牛考』を連想しました。もしかしたら本作は、柳田國男に対するオマージュあるいはパロディなのかもしれません。「蝸牛」と「楢山節」とではずいぶん違いますから、この推定は大外れかもしれませんが、ともかく「あらすじ(棄老)を知っているから、この作品は読んだも同然」と思うことが大間違いであることは間違いありません。本書では「あらすじ」ではなくて「細部(の積み重ね)」が重要なのです(文学作品は基本的にそうですが)。特に村での「日常生活」と、おりんがなぜあのように淡々と自分の死を受け入れることができるのかの“歴史”と“環境”の描写に説得力があります。

 読み終えて、「老人を殺すとは人道的に許されない」とヒステリックに主張するとか、逆に「食べるものがないのだから、口減らしは仕方ない」で思考停止するとかに行けたら楽だろうな、と私は思いました。いや、もちろん、人を殺すのは「善くないこと」です。でも、食べるものがたりないのに皆が好き放題食べたら、村は全滅でしょう。それと、この村の生活習慣では、もし技術革新か何かで「食料が豊富にある状況」が一時的にもたらされたとしても、「これ幸いと人がどんどん増えて、その食料を食い尽くしてしまって、また皆が苦しくなる」になるのがオチであることは容易に想像できます。「単純な解決」はなさそうです。

 ここで私は「医療費亡国論」で思考停止している人々のことを思い出しています。「食料がないのだから口減らしをしなければならない」と「金がないのだから医療費は減らさなければならない」とは文法構造も思考形式も基本発想もきわめて近似した思考形態に見えるのです。
 それは一見正しい「理屈」ではありますが、でもその「理屈」は人としての「理(ことわり)」が何らかの力によって「屈」してはいませんか?  本当はもっといろいろ悩まなければならないのでは?


書誌情報:『楢山節考』深沢七郎 著、 新潮文庫、1964年(98年64刷)、362円(税別)



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紙のヤスリ

 私は小学校1年のときには眼鏡をかけていましたから、人生のほとんどを眼鏡とともに過ごしていることになります。眼鏡がなければ私は真っ当な人生を生きられません(今生きているのが「真っ当な人生」かどうかは別の議論でしょうが)。ところがしばらく使っていると眼鏡のレンズが傷だらけになります。これは要するに手入れが悪いのです。子どもの頃にはハンカチでレンズを拭いていましたし、もうちょっと大きくなったらティッシュで埃を拭っていました。しかしこれをレンズの側から見たら、表面の埃とその外側の紙とが協力して“紙ヤスリ”として働いてくれることになります。最近やっと反省しまして、まずは水洗いで埃を取った後、ティッシュで水分を吸い取り(ただし軽く抑える感じで、絶対こすりません)、そのあと必要なら眼鏡ふきのクロスでやさしく拭いています。それでも小さな傷がつくのはなぜなんだろう、とは思いますが。顕微鏡をしょっちゅう覗いていた頃には、顕微鏡の接眼レンズの枠と眼鏡のレンズがぶつかって、その一部だけ妙な模様がきざまれたりしたものですが、今は顕微鏡から10メートル以内には近寄っていないはずなのに。やっぱりまだ眼鏡の扱いが荒いのでしょうね。

 “紙ヤスリ”と言えば、病院での手洗いの時のペーパータオルも気になります。見ているとスタッフは皆流水で洗った後紙タオルでごしごしと手をこすっています。だけどあれだと、角質表面が傷んでしまうのではないか、と思うのです。私はペーパータオルでは手の表面をぽんぽんと叩くようにして水分を吸い取らせています。こするのと時間やあとの乾き具合にそれほど差があるとは思いません。ただ、エビデンスがあってやっていることではないので、ただの心配しすぎなのかもしれませんが。


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怒られるよ

 もう30年以上前のことです。路線バスに乗っていると、よくある話ですが、車内に非常に元気な(平易な日本語を使えば、大変騒々しい)男の子がいました。これまたよくある話ですが、母親が声を嗄らして叱ってますがまったく効果がありません。
 「タロー! タロー! もう! タローったら!!」
 選挙じゃあるまいし、名前の連呼では効果がないのは当たり前とは私は思います(というか、選挙で名前の連呼がされる一番の目的は、何です?)。問題は彼の名前ではなくて行為なのです。そこで母親は次の手を打ちます。「そんなことをしたら運転手さんに怒られるよ!」「運転手さんに怒られるよ!!」「怒られるよ!!!」
 信号でバスが停車したら当の「運転手さん」が振り向きました。穏やかな声で
「奥さん、私は他人様の子どもを怒り飛ばすような、怖い人間ではありません」
 私は笑いをこらえるのに忙しくて、その後の記憶が飛んでいます。(ほとんど実話そのままです)
 月日が流れ、あのタロー君、じゃなくて、今では大人のタローさん(当然ですが、仮名です)も今では人の親をやっているかもしれません。さて、ではタローさんが自分の子にどんなしつけをやっているのか、少しだけ興味はあります。

 この母親の行為で私の目につくのは
1)何を叱っているのか明示していない。
2)他人任せの躾(自分は良い子(良い親)ちゃん)。
3)「怒られからやめろ」と言うのは、つまりは怒られないことなら何をしても良いと主張していることになる。
 この三点です。

 子供に注意をする場合、「なぜ」「何を」「どんな状況で」してはいけないのかをきちんと明示した方が良いと私は考えます。もちろん子供に言葉や理屈が通じない状況はよくありますが、だからといって親が子供と同じレベルではそれは「躾」とは言えません。
 また、具体性も必要です。単に「良い子にしていなさい」と命令するのは抽象的で意味がありません。もし「意味がある」と言われる人がおられれば、試しに「あなたは良い大人でいなさい」と言ってあげましょう。さて、私があなたに具体的に何を期待しているかこの言葉だけで読みとっていただけるでしょうか?
 さらに、禁止だけではなくて、そのかわりに何をどうすれば良いのかを親が提示するか、あるいは子供に自分でそれを考えついてもらう必要があります。できたら自分で考えついて欲しいものです。親は普通子供より早く死にますし、二十四時間子供の後をついていって何から何まで一々指示するのは大変です。一々指示をしないと最初は失敗が多くてかえって手間でしょうけれど、失敗から親子が学べば最終的にはどちらも楽になるはずです(私は、人には(人の命がかかるような場合を除いて)「失敗する権利」と「失敗から学ぶ義務」があると思っています。権利・義務というのはここでは強すぎることばかもしれませんが)。
 また、「ことの善悪」も自分で判断できるようになって欲しいものです。最初は仕方ありませんが、ある程度代表的なケースについて「なぜ悪いのか」をきちんと躾られたらあとは自分で判断できるだけの能力を普通の人間なら持っているはずです。
 さらにさらに、「怒られるから」ではなくて「してはいけないことだから」、を「何かをしないことの理由」にして欲しいと願います。「怒られるからしないようにしよう」で育ったら、コワイ人の目を盗んで怒られなければ、あるいは気が弱くて怒れない人が相手だったら、何をしても良いんだ、と思うようになってしまいません?

 昔は「天知る地知る」とか「お地蔵様が見てござる」という言い回しがありましたが、今は流行らないのでしょうね。だけど、言葉の古さとその内容の真実性とは無関係だと言いたくなるのは、これは私が年を取った証拠なのかもしれません。

 そういえば、「世間を騒がせて申し訳ありません」という「謝罪会見」を時々TVなどで見聞します。これはもしかして「世間さえ騒がなければ、問題はない行為だった」という主張なのでしょうか?  少なくとも「自分が行なったことの是非」には目を閉じて「(世間に)騒がれたこと」だけに反応していて、「この程度で一々騒ぎがって」と腹の中では舌を出しているのかもしれません……「親の小言は頭を下げていたら上を通過していく」と腹の中で舌を出している子供と同じように。


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読書感想『感染症の中国史』

 1892年広東省で「鼠疫」という病気が流行しました。まず鼠が斃れ、それに続いて人が斃れるためにこう名付けられたのは、今で言う「腺ペスト」。94年(日清戦争開戦の年)には省都広州で大流行となり、3〜6月には4万人の死者が出ます。その流行は香港に及び、そこから世界中にパンデミックとなって広がっていきました(世界で流行が終息するまで20年かかっています)。各国から調査団が派遣され(日本からは北里柴三郎と青山胤通)ペストの調査を行ないます。北里が最初に「ペスト菌発見」と報じますが残念ながらそれは誤報で、結局イェルサンがペスト菌を発見します。
 中国では貧民街で特にペストが多発しました。当時の人々が不思議に思ったのは、人種によって死亡率に差があったことです。イギリス人は2%、日本人は50%、中国人はなんと70〜90%。
 1910〜11年、満州で肺ペストが流行しました。こちらでも数万人の死者が出ますが、特徴は「鉄道線路に沿って流行が広がっている」ことです(さらに、春節での帰郷に伴う“民族大移動”が疫病流行に拍車をかけます)。満州鉄道(ポーツマス条約によって日本に経営権が譲渡されたシベリア鉄道南部支線)では鉄道検疫を実施します。ロシア租界ではロシア軍が、中国領では警察官が、相当強圧的な「衛生対策」を実施しました。清朝政府の対応は、19世紀末とは違って素早いものでした。その行政モデルの一つが、日本に設置された臨時ペスト予防事務局です。
 ペストは、インド・香港・台湾などから輸入される綿花や米などと一緒に日本にもやってきました。不平等条約によって「外国船に対する検疫権」も制限されていましたが、条約改正で日本は検疫権を回収します。同時に国内では、内務省衛生局=各地の府県警察部衛生課を軸とした中央集権的な衛生行政制度が確立しました。また、各地に衛生組合が作られ、制度の下支えをしました。
 日清戦争では日本軍は感染症に対してほとんど無防備でした。そのため、日本軍将兵の死亡者の8割は台湾領有戦争に集中しさらにその9割は(赤痢・マラリア・コレラなどの)病死だったのです(「台湾領有戦争」というと知らない人が多いかもしれませんが、日本は台湾を占領するために出兵していたのです。本来別の戦争ですが、日本では日清戦争の一部扱いをされています)。その“教訓”から、その後の海外派兵では日本軍は周到な準備をするようになります。軍陣医学の誕生です。また、台湾での医学教育や公衆衛生は日本の制度がほぼそのまま採用されました。熱帯地方での経験から熱帯医学が発達し、それを制度化し現地に強制することで植民地医学が進歩しました。つまり医学は植民地支配の重要なツールとなったのです。そしてこのツールは、朝鮮や満州でもほぼそのまま用いられることになります。
 コレラはもともとインドベンガル地方の風土病でした。それがイギリスの植民地支配にともなう人と物の大移動に伴い、グローバルな流行を起こすようになります。19世紀には中国でコレラは何度も大流行を繰り返しますが、これにはアヘン戦争やアロー戦争で英領インド軍が大量に中国にやってきたことも影響しているでしょう。
 中国国民党政府は明治時代の日本と同様、西洋医学を国家標準にすることにして、1930年「西医条例」を制定します。これは西洋医学のみを公認する政策でしたが、中国医学側から猛反発があり、結局1936年に「中医条例」が制定され、中医も公認されることになりました。明治の日本では漢方医学が民間医療の側に追いやられたことと対照的です。(現在の日本では「漢方薬」は市民権を得てはいますが、西洋医学の文脈で語られることが意外に多くて、“資源”の有効活用ができていないように私には見えます)
 マラリアは、後漢書に記載があります。雲南省で流行したという「瘴気」「瘴疫」です(そういえば三国志にも「南に行ったら人がばたばた死ぬ熱病が流行している」とありましたが、その内の一つがマラリアだったのかもしれません。また、「マラリアが瘴気(悪い空気)によって感染する」という発想は、近代西洋のミアズマ説(マラリアは悪い空気によって感染する)と同じ発想ですね)。1901年台湾駐屯の日本軍で「防蚊部隊」の試みが行なわれました。一つの部隊だけできるだけ蚊に接触させないようにして、他の部隊とマラリアの発生率を比較したのです。これがみごとに差が出たので「蚊対策」が日本のやり方の基本となります。(ちなみに、イギリス流はボウフラ対策、ドイツ流はキニーネの予防服用、イタリア流は家屋に防蚊措置と除虫菊などで蚊の駆除だったそうです)。ただ、台湾でのマラリア対策は、「植民地のため」ではなくて「植民地支配のため」でした。欧米列強の帝国主義はたとえば宗教を尖兵として使っていましたが、日本は宗教が使えなかったため衛生行政をツールとして用いた面があるのです。これは戦後GHQが、日本住血吸虫対策を全国で展開して日本人に占領政策を受け入れやすくしようとしたのと似ています。
 日本住血吸虫になぜ「日本」がついているかと言えば、原虫の発見者が岡山医専の教授桂田富士郎で、自分の名前ではなくて「日本人が発見した」としたからです。ついでにその中間宿主の巻き貝オンコメラニアを同定したのは九州帝大教授の宮入でだからその貝はミヤイリガイと呼ばれます。ついでですが、日本の流行地だった筑後川流域で安全宣言が出されたのは1990年、山梨県は1996年のことでした。中国はすごくて、1950年代はじめに長江流域で3000万人の患者がいると推定されていました。
 面白いのは名前に「日本」とついているためか、「日本軍が中国に日本住血吸虫を広めた」という噂が中国で言われたことです。実際には稲作文化とともにこの病気は広まっており、紀元前の戦国時代の馬王堆漢墓のミイラからもこの卵が見つかっています(この時期には「日本軍」は中国にはいないはず)。そういえばコレラが流行したときにも「日本人が食物に毒を入れたから」という噂が流れ、満州のペストの時にも「日本人が井戸に毒を入れて病気を広めている」という噂が流れています。ヨーロッパでも黒死病流行時には「ユダヤ人陰謀説」が流されてユダヤ人虐殺が行なわれたし、日本では関東大震災の時に「朝鮮人が放火をしたり井戸に毒を入れている」と言われました。「噂の真偽」ではなくて「こういった噂が発生して伝播する」事実そのものが、おそらくその社会についての何かを雄弁に物語っているのでしょう。

書誌情報:『感染症の中国史 ──公衆衛生と東アジア』飯島渉 著、 中公新書2043、2009年、760円(税別)



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疲労

 トな医療行政に翻弄されて、日本の医療は本当に疲弊してしまいました。
 最近は「厚労省」という文字列が私には別のものに見えてしかたありません。私の目が疲れているのかな。それとも行政に翻弄される人生に疲れているのかしら。

 そこで一苦、もとい、一句。

 厚労省 内部評価は 功労省 外から見たら 疲労省(字足らず)


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寝る子は育つ?

 「寝る子は育つ」とよく言いますが、問題は「どう育つ」かでしょう。「寝る子が変な育ち方をした」にはなって欲しくありませんから。

 「早寝がうつ病と自殺念慮を予防」(メディカル・トリビューン)

 アメリカの調査です。青少年で、夜中の12時以後に就寝する群と午後10時前に就寝する群とを比較すると、「うつ」と「自殺念慮」に差があった、とのこと。早寝がうつと自殺念慮を予防しているのか、遅寝がそれを促進しているのかはわかりませんが、結果としては明らかに有意差がついたわけです。
 で、同じく青少年の睡眠時間で、5時間以下の群は8時間以上の群に比較して、うつは71%・自殺念慮は48%アップ、ともあります。基本的に就寝時間が遅い方が睡眠時間は短くなる傾向があるそうで、すると「早寝でたっぷり寝る」青少年は、うつや自殺から遠ざかれる、ということになりそうです。

 ならば「とにかく寝ればいい」のか、と言えば、こんな調査もあります。

今日からできる! 睡眠最適化への道」(All About(健康・医療))

 1980年代のアメリカ人100万人以上を対象とした調査によれば、睡眠不足はよろしくないが、寝過ぎもよろしくない、ということになります。一部引用します。
>>1日に6.5〜7.5時間の睡眠をとっている人が最も死亡率が低く、それ以上およびそれ以下の時間、眠っている人は寿命が短くなる傾向にありました。

 「睡眠時間を削っている人」が寿命が短くなるのはなんとなく感覚的にわかる気がしますが、「長く寝る人」も死亡率が高いのは……もともと身体が弱くて、長く寝ないと保たないから、でしょうか?  睡眠時間の長短と死亡率に「因果関係」があるのかどうか、もしあるとしたらどちらが「因」でどちらが「果」なのか、私の頭はぐるぐる螺旋を描いてくれます。

 ところで「起床時間と、うつや自殺念慮やあるいはそれ以外の病的な要因との関係」を調べた調査はないのでしょうか。いえね、「早起きは三文の得」が医学的に本当かどうかも知りたくなったものですから。
 ……しかし……こんなことを知ってしまって「今晩は何時間寝たら“健康的”なんだろう?」なんて悩み始めたら、不眠になってしまいそうです。



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複合競技

 冬季オリンピックで私がすぐ思い出すのは、1972年札幌の日の丸飛行隊、そして衝撃的だったのは1992年のアルベールビルでのノルディック複合団体戦です。恥ずかしながらそれまで私は「ノルディック複合」という競技名さえ知らなかったのですが、その後の日本人選手(特に荻原選手)の活躍で「キング・オブ・スキー」という称号の存在も知ることができました。
 ノルディック複合はスキーのジャンプとクロスカントリーの「複合競技」ですが、バイアスロンは射撃とスキーのクロスカントリーの複合(競技の元になったのは雪上の猟師?)。そういえばフィギュアスケートも昔は「規定」と「自由」の“複合”だった、と言えなくもないですね。
 夏季オリンピックでも、近代五種とか十種競技とかの“複合競技”があります。特に十種競技は「キング・オブ・スポーツ」と呼ばれてその勝者は「すべての陸上競技に関して優れた能力を示したオールマイティのアスリート」として讃えられます。
 ノルディック複合はジャンプと距離ですが、この二つを両立するのは大変です。両方にバランスの良い体型と筋肉と運動能力を確保するためのトレーニングはどうすればいいのか、私にはとても想像がつきません(単独だったらそれぞれある程度想像ができますが、全然異なる競技の「バランス」を考えるのが大変)。まして五種や十種となったら、一体どんなスケジュールでどこをどう鍛えていけばいいのか、想像を絶する苦行だろう、としか言えません。だからこその「キング」なのでしょうね。
 ただ、日本ではそういった「複合」はあまり好まれません。「一芸に秀でた人」の方が高評価、という傾向があるように私には見えます。「いろいろの分野に秀でた人」は「どこを褒めて良いかわからない」のかもしれませんし、単なる器用貧乏扱いなのかもしれません。

 医学の世界でも、日本では似た傾向があるように思えます。「一芸に秀でた医者」はふつうそれだけで高評価ですが「いろいろできる医者」は「なんだ、“専門”がないのか」という評価(少なくとも「先生のご専門は?」と質問する人はそう思っている可能性が大)です。実は両方存在した方が良いんじゃないかと私は思っています。スポーツだったら人類の可能性が広がるし、医療だったら患者が救われる可能性が広がりますから。


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不眠

 この2〜3日、急にスギ花粉が増えていません?  少なくとも私の身体はそう主張しています。私は目・鼻だけではなくて、のどにも花粉症の症状が出るのですが、一昨日くらいから、目は痒い・鼻も痒い・くしゃみ・鼻水・鼻づまり・のどのいがいが、とフルコース。加えて鼻水がずいぶんねばくなり、さらに全身に熱感も。これは風邪も一緒にひいたのかな?  とりあえず薬を内服してステロイドを鼻に噴霧して目薬も入れて、あとできることは何でしょう?
 昨日は勤務の都合で早出(朝7時くらいに職場に到着)だったので「早起きしなきゃ」と緊張もあったのでしょう、なんだかずいぶん睡眠が浅くて困りました。やっととろとろ寝たと思ったら咳やくしゃみで目が覚めてしまうのです。布団の中で身体が温もったら迷走神経が活発になって咳が増えるのは仕方ないことにしても、自身のこのヤワさには、困ったものです。

 


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セクハラ

 病院でのセクハラは、いくつかのパターンに分類できます。

1)職員 → 職員
2)職員 → 患者
3)患者 → 職員

 1)の場合、私の勤務する病院では基本的に直属上司に報告、となっていましたが、「その上司からのセクハラだったらどうするんだ」という指摘から、現在は守秘義務に慣れている独立部署がその担当となっています。
 2)の場合は少ないのですが、残念ながらゼロではありません。直属上司から病院上層部に報告が上がり、職務規程で馘首です。
 3)が実は悩ましい。「セクハラだ!」で即座に強制退院、だったら話は簡単ですが、それだったら私は悩みません。入院時の誓約書でセクハラを含む迷惑行為や他者に有害な行動をした場合には強制退院となってますし、顧問弁護士もそれを承認しているから、そのこと自体には問題はないはず。私が気になるのは以下の2点です。

 甲)本当にセクハラなのか
 乙)治療への影響

 甲)に関しては、具体的にどんな状況でどんな言動があったかを聴取します(単に「セクハラされました」では不可)。さらにたとえば別の職員へも同様の言動があるかどうかとか、二段三段がまえで“証拠”を集めますし、私は本人にもずばり尋ねます。「これこれしかじかの言動がある、と噂を聞いたんだけど、それは本当か?」「それが相手に不愉快に思われていることを知っているか?」と。それと職員(セクハラをされた人以外も含む)には「行為と人格の分離」も言います。「セクハラ行為」は不愉快だが、「その人の人格」を不愉快だとしないように、と。
 乙)はやはり私が医者だから気になるのでしょう。患者だから何をしても良い、なんてことはもちろん思いませんが、ことがおおごとになるかならないか、どちらにしても、患者さん本人の治療上に何らかの利益がある方向に持って行きたい、とつい思ってしまうのです。

 さらに個人的に思うことがあります。「セクハラをする患者は、即刻病院から追放」という態度は「嫌いだから遠ざける」と言えますが、それはセクハラ野郎の「好きだから近づく」を単に逆転させただけにも見えるのです。つまり感情と方向は逆ですが「好き嫌いで動く」点では同じ。それで「解決」なのかなあ、と思ってしまうのです。

 そうそう、4)患者 → 患者 も考えられますが、私はまだこれは未経験です。この場合にはどうすれば最善なんでしょうねえ。

 もう一つそうそう。入院している老人男性がある日急に女子職員に対してセクハラを始めたことがあります。それはもう露骨に。ただ、人妻であることを知っている人に対しても「あんたは処女か?」と聞いたりするというなにやら妙な雰囲気だったのですが、その数日後こんどは足に軽い不随意運動(本人が意識していないのにぴくぴく動きが出る)が出現したため、その両方を合わせて念のために脳のMRI検査をすることにしました。すると前頭葉にできたばかりの新鮮な小さな脳梗塞が。
 この一例をもって、セクハラをする人すべてにMRI検査をするべきだ、とまで主張する気はありません。ただ、こういう経験をした医者が一人いる、という一例報告でした。


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