転がるイシあたま

医療系の雑談ブログです

「緊急」の意味

 病棟から「βさんのご家族が緊急で相談したいことがある」と呼び出しがかかりました。駆けつけると「来週の外泊で、病院を出る時刻を13時30分でお願いしていたのを、13時45分に変更したい」とのこと。
 どこが緊急なのか、と首をひねりそうになりましたがひねる前にわかりました。「自分の待ち時間を最小にしたい」ことがその人にとっての「緊急課題」だったんですね。日本語は難しい。五十年以上使っているのにワタシマダヨクワカリマセ〜ン。



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ボールペン

 私は筆圧が高くて、3枚複写程度なら最後の紙まできっちり文字が写ります。で、その筆圧でずっと書いていると手が疲れますので、複写でない紙にはなるべく力を抜いて軽く書くように意識します(といっても、夢中で書いているとついつい力が入ってしまうのですが)。「軽く書く」と「複写での高い筆圧」との両立ができるボールペンとしてお気に入りなのは、水性のものです。昔はパーカーの水性ボールペンを使っていましたが、これは換え芯が高くて涙が出そうになるし置いている店が少ないので、今はパイロットのゲルインキのものを愛用しています。ところがこれにも問題が。換え芯が(パーカーよりは)安いのですが、やはりどこにでもは置いてないのです。隣町の文房具屋で見つけて喜んでいたらそこが潰れてしまって、今は街に出たときに大きな文房具屋で箱で買ってきています。
 白衣の胸ポケットには、他に二本のボールペンがあります。一本は黒一色のセーラーのもので、パイロットがインク切れになったときの非常用。もう一本はトンボの4色ボールペンで、色を使いたいときに登場させます(普通の使い方だと多色ボールペンは黒が一番になくなりますが、このトンボは、赤緑青の順に減っていって黒が一番使われません)。で、よく見たらセーラーにもトンボにも、製薬会社の宣伝が入っています。(パイロットは自前なので宣伝はありません)
 そういえば医者になってから、ボールペンやレポート用紙に不自由したことがありません。常に製品名が入った販促品が身の回りにありました。この宣伝効果(私の処方への影響力)はどのくらいあるんだろう、とふっと思うことがあります。自分では自分のことは客観的に判断できませんが、せめて主力のボールペンを自前にするのがささやかな“抵抗”かな。
 ……あ、「パイロット」が私に刷り込まれているかもしれません。

 ちなみに「ボールペン」は厳密には「ballpoint pen」です。「point」が落ちたら困りませんかねえ。


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ビタミンK

 学生時代の産科の授業で「母乳は赤ちゃんにとってほぼ完全な栄養食品だが、唯一と言って良い欠点がビタミンK不足だ」と習いました。ビタミンKは主に「止血」に関係していて、それが不足すると出血しやすくなります。当時、母乳栄養の新生児は人工栄養の新生児より脳出血を起こしやすく、それが母乳による(母乳のビタミンK不足による)、とわかったのです。だったらそこで行われるべきは「母乳非難キャンペーン」ではなくて「ビタミンKの補充」です。母乳哺育の子には産科から退院するときにビタミンKのシロップを飲ませる、それだけのこと。

 メカニズムですが、ビタミンKそのものが血管や血液に働いて止血をしているわけではなくて、止血をするのに必要な酵素やタンパクが合成されるときにビタミンKが補酵素として必要なのです。
 そういえば納豆にもビタミンKが豊富に含まれています。したがってワーファリン(血液を固まりにくくする薬)を飲んでいる人が納豆を食べるとワーファリンが“中和”されてしまう可能性があります。
 もっとも納豆にはナットウキナーゼという「血液をさらさらにする成分」もあるそうで、一体どっちの方が人体では効くんだ、と聞きたくはなりますが。

 さらにややこしいのは、ビタミンKがないと合成されないタンパクとして「プロテインC」「プロテインS」というものもあるのですが、こちらは止血の逆、血液を固めない方向に働いているものなのです。もしもプロテインCやSがなかったら(遺伝子の異常でそのような病気(欠乏症や分子異常症(そのタンパクの量は正常にあるが機能が落ちている))が発症することがあります)、その人は全身のあちこちで血が異常に固まって血栓症を起こすことになります。

 人体は不思議です。同じ物質「ビタミンK」でさえ、体内では止血に対してプラスとマイナスに使っています。結局大切なのは、バランスなのでしょう。

 今日も平凡な結論でした。平凡な人間の平凡なブログですから、こんなものです。


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トイレの消臭

 昔のぽっとんトイレは、下手すると鼻よりもむしろ目にきました。なにしろ自分の股の下に汚物が直接存在していてそこで発酵しているのですから。今の水洗トイレはその点、ずいぶん衛生的に感じますが、それでもスーパーやホームセンターに行くと消臭剤が山と積まれています。ほんのちょっとのにおい(残り香)でも許せない、ということなんでしょうか。

 さて「消臭」にはいくつかのやり方が考えられます。
1)薄める
 窓を開けて臭い物質の濃度を下げれば「臭さ」は減少します。
2)何かに吸わせる
 活性炭での吸着がその代表でしょう。これは複数の臭い物質に対応できますが、問題はいかに風を通すか、ですね。容器をおいて蓋を開けておくだけでトイレ中の空気がそこに殺到してくれればいいのですが、なかなかそれは望めません。また、ゴミが出ます。ゴミを出さないために「焼いたら再生」だったら良いのですが、一般家庭ではどこで焼くかが次の問題になります。都会の一般家庭で「火」があるのは台所か風呂ですが……まさか台所で、というわけにはいきませんよね。台所に焼けたトイレのにおいが充満するのはちょっと避けたい。
3)化学的手法
 臭い物質を他の分子でくるんだり破壊したりして人体のにおいレセプターで感じられなくするやり方です。これは、相手がどんな分子か、がわかっていたら有効ですが対象外や想定外の分子が出現したら無力化されるのが難点です。
4)生体学的手法
 別のにおいで鼻を襲って誤魔化そうというやり方です。そういえば昔はキンモクセイが「トイレのかおり」でしたね。
 もっとよさそうなのは、鼻のにおいレセプターに別の分子(無臭のもの)を結合させて、悪臭物質の分子がそこにもう結合できないようにするやり方です。「感じることができなければ、無いのと同じ」作戦です。ただ、これはトイレに入る前に処置をしておかないといけません。うっかりそれを忘れてしまうと、悲劇が起きます。
5)我慢する・慣れる
 コストゼロ。環境負荷もありません。


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国の威を借りる

 孔子は「君子としてあるべき道」を示すためにその対照として「小人」を置いて論じることがあります。たとえば「君子は周して比せず、小人は比して周せず」「君子は義に喩り、小人は利に喩る」「君子は諸を己に求め、小人は諸を人に求む」「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」(論語)のように。

 「山形大病院は「国策に反している国立大学」」(ロハス・メディカル)
 
 さて、議論の場で相手の主張の“内容”に反論するのではなくて、「上意であるぞよ」などという言葉を使うことで丸ごと他人の主張を押しつぶそうとする態度は、どう評価できるでしょうか。単なる封建主義者のやり口かもしれません。あるいは、「自分の主張の“内容の正しさ”で勝負する」のではなくて「自分の方が持っている“力”の方がお前のより強いんだぞ」とひけらかしている態度とも言えますし、逆に、「内容の正しさ」で勝負できないから真っ正面から議論することから逃げている、とも言えるでしょう(掲示板などで、議論の旗色が悪くなった側が人格攻撃を始めることも私は想起しました)。もしこういった人が同じ態度で医者をやっているとしたら患者さんに対しては「俺はエライ医者だぞ。学会のガイドラインではこうなっているんだぞ。ごちゃごちゃ言わずにこっちの示した治療法に従えばいいんだ」などと言うのかな。あるいは「国立の病院を受診する患者は“国策”に従え」とか。

 真っ当な君子は自分が預かる「権力」の重大さに心を引き締めます、決して狂喜乱舞軽挙妄動はいたしません。しかし、小人はたとえわずかでも「力」を持たせたら大喜びするものです(そして、まるでその“力”が自分自身に由来するかのような勘違いもします)。で、「権力の走狗」になって「自分はこんな“力”がふるえるんだぞ。皆、ひれ伏せ」と大喜びする人の心根がどんなものなのか、私には理解できませんが、ただ、70年前だったらおそらくそのあとに「俺の命令に従わないとは、この非国民め!」がくっついてくるんだろうな、とは思いました。

 孔子さんに再登場願いましょうか。「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」



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あす

 あるところで見かけた機械が、妙に気になっています。会社の名前か機械の名前かその側面に「compass」とでかでかと書かれているのですが、そのロゴが「comp」は黒で「ass」が赤でデザインされていたのです。素直に読んだら「comp/ass」になってしまいます。
 普通この単語を二つに分けるとしたら「com/pass(共に歩く)」でしょうが、「comp/ass」だと「おしりに無料サービス(あるいは「おしり伴奏」)」。会社に英語がわかる人がいなかったんでしょうか。


※もともとドイツ製だからもしかしたらドイツ語で別の意味かとも思いましたが、私の独和辞典には「ass」はありませんでした。「aβ」ならありましたが、これだと意味が通らないような気がします(βで代用しましたが本当は「ス」と発音するβによく似た文字です。「エスツェット」と言いましたっけ?(十代に習って以来まったくノータッチなのでドイツ語はもう全然ダメですわ))。


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 「コレステロールを下げる」でも書きましたが、かつて(2〜30年前)は高コレステロール血症の人には「卵は禁止」と強く言われていました。

 何しろ卵の黄身にはコレステロールが多く含まれているのですから、コレステロールが高い人がわざわざそんなものを食べるなんて言語道断、だったのです。同時に、イカやタコも「コレステロールが多く含まれている」と禁止されていましたっけ。実は測定方法が間違っていて実際よりは高い数値が出ていたらしいのですが(さらに魚介類に豊富に含まれているタウリンはコレステロールを減らすのに役立つものだそうです)。
 当時ちょっと興味を持って調べてみたら、加工食品(パン、麺、お菓子などはすぐに思いつきますが、それ以外にも多数の意外な食品)にもけっこう卵が使われているのに驚きました(興味を持たれた方は、スーパーに並んでいる加工食品の原材料名のところをじっくり眺めてみてください)。

 そういえば当時アレルギー学会で「妊婦に、卵制限(たしか妊娠後期から卵制限をかけて、母乳の場合には出産後も、というやり方)をした場合としなかった場合で、生まれた子どものアトピー性皮膚炎などのアレルギー発症率に差があった」という研究が発表されたのを見た覚えがあります。この研究ではたしか離乳食での卵の使用も(体がある程度成長して消化吸収がきちんとできるようになるまで)制限していたはず。あまりに早く未熟な体が「卵のタンパク成分」にさらされると、まず「卵に対するアレルギー」が生じ、そこから「他の物質に対するアレルギーも続々生じるのではないか」という考察だったはずです。
 私は、「卵単体」だけではなくて、加工食品に含まれる方も考慮しなければならないのではないか、とは思いましたが、実際にはこちらを追求するのは難しいでしょうね。

 かつて卵は「完全栄養食品」と呼ばれた時代もありました。なんで「完全」なのかは知りませんが、そこからヒナがまるまるできあがるからでしょうか。それが一転「コレステロールの元凶扱い」「アレルギーの原因扱い」ですから、身の変転の落差のあまりの大きさに卵もびっくりしていることでしょう。しかしそれは卵の“罪”ではなくて、要は人間の側の“使い方”だと私は思っています。


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おことわり

 病気、特に新しい病気は、忌避敬遠拒否拒絶をされる傾向が強くあります。「そんなもの、お断り」と。ただしそれは「病気」の問題ではなくて「社会」の側の問題の発露ではあるのですが。

 たとえばMRSAが世間の話題になってきたころ、病院から退院して老人施設に移る人に「MRSAがついていない証明」を施設側から求められるようになりました。「こわいこわいMRSA」を施設に持ち込まれて施設内感染の元凶になっては困る、という発想からでしょう。検査をして陰性なら問題はもちろん無いのですが、問題は陽性の場合です。
 「MRSAが陽性(身体のどこかに、多剤耐性の黄色ブドウ球菌がくっついている)」と聞くとぎょっとする人が多いでしょうが、「陽性」というだけで怯えるのはまだ早すぎます。「MRSAが陽性」という事実と「その人がMRSA感染の元凶になる」こととはまだ結びついていないのですから。そのMRSAが暴れまくっていて本人に感染を起こしているのなら、きちんと治療が必要です。感染を起こしていなくてもしょっちゅう体外にまき散らされているようだったら、周囲のために防護処置が必要です。しかし、「静かな居候」としてひっそりとどこかに隠棲しているのなら(いても害になっていない状態を「MRSA保菌状態」と呼びます)、それは騒ぎ立てる必要はありません。体外に出さないようにしてできるだけ長く(できたら本人の寿命が尽きるまで)「平和共存」を継続すればいいのです(平和共存と言いましたが、その菌は免疫機構や他の菌との闘争を続けていて、普通だったらだんだん少なくなっていくことが期待できます)。ですから排菌さえなければ「隔離」や「治療」ではなくて「標準的な院内感染予防策」で対応は十分です。つまりここで問われるのは「施設で標準的な感染予防策が行なわれているか」です。そのためか「MRSA保菌者に対して、受け入れ拒否をしてはならない」という通達がいつだったか出されました。(現実に、元気に街行く人をアトランダムに呼び止めて検査をしたら、おそらくその何割かからはMRSAが検出されるはずです。「とびひの原因菌の3割がMRSA」(日経メディカル)なんて記事もあって、要するにMRSAはその辺にいくらでもうようよしているのですから)

※おまけ:「写真で見る子どもの病気」(とびひ)


 新型インフルエンザでも元気いっぱい忌避敬遠拒否拒絶が行なわれています。「水際作戦」は国を挙げての拒絶作戦でしたが、最近では、家族に発症者がいたら(あるいはいなくても)、熱が出たら(あるいは熱が無くても)、「インフルエンザに罹っていない証明をもらってこい」という要求をする会社がけっこうあるそうです。この要求がいかに無茶で効果のない(さらに有害でさえある)ものかについては、他のブログなどで書かれているからここでは触れません。ただ、自分を守るために「怪しいもの」が自分に近づくことを遮断しまくる態度は、社会に余りよい結果をもたらさない、と私が考えていることは、書いておきましょう。

※ちなみに私の外来でそんな要求をされたら「保険は効きません。自費になります。それと、検査が当たる確率は30〜70%です。それで良いですね」と説明します。それで良くない、と帰ってしまわれた場合、使った私の時間と労力に対して誰が支払いをしてくれるのでしょうねえ。


 大切なのは、「“ワルモノ”が自分に近づくことをとにかく遮断すれば良いんだ」という感情的で性急な態度ではなくて、「理(ことわり)」を重んじる態度だと私は考えています。「理」より「お断り」を優先したい人に自分の考えを押しつける気はありませんが。


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知能指数

 私は小学校6年生と高校1年の時に知能指数の検査を受けたことを覚えていますが、小学校の時には担任教師が、高校の時にはクラスメイトが驚く数字をたたき出しました。ただ、神童や天才でさえ「二十歳過ぎたらただの人」になるわけですが、私はそれ未満だったらしく、大学受験時にはめでたくただの人(あるいはそれ以下)になっていました。(ちなみに頭が現在どんな状況かについては、証言を控えさせていただきます)

 S・J・グールドはこの知能指数検査(の誤用)が大嫌いのようで、そのエッセイの中で繰り返しそのことを表明しています。私が読み取った、グールドが知能指数検査を嫌う理由は以下のようなものです。
・一見科学的だが、実は特定の文化の基盤の上に作られている(白人社会の中流階級以上が有利になる)。
・ある特定の(間違った)仮説(人種によって最初から知能の優劣がある)を証明するために活用された。
・人のある特定の部分を評価するに過ぎないのに、その人のすべてがわかるかのように過大評価されている。

 実際に(昔は)知能指数が高かった私が断言します。あんなもの、人間のごくせまい何かはわかった気にさせられますが、トータルとしての人間の何かを証明するものでもありません。

 ただし、とりあえずこの検査ではっきりわかることはあります。「人類の半分は残りの半分より頭がよいこと」です。もっともそれはどんな問題を作ってテストしたとしても分別可能なのですが。問題の種類によって境界線はがらがら動くでしょうけれど。(たとえば、芸能関係とか花の名前や育て方とかで問題を作られたら、私は最低ランクに分類されるはずです。ほかにも苦手な分野はたくさんありますが、それが何かについての証言も控えさせていただきます)


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無理難題

 他人に無理難題を押しつける人間は、その無理難題が達成されてもちっとも嬉しそうにしません。すぐ次の無理難題を探そうとします。
 逆に言うなら、そのタスクが達成されたときにその人(言い出しっぺ)が嬉しそうにするかどうかで、“それ”がみなのためになる解決可能な「難題」だったのか、個人の欲望を実現するためだけの「無理」の押しつけだったのかが判定できます。
 もしかしたらその人にとっては「他人に無理難題を押しつけること」が人生の喜びなのかもしれませんが、もしそうならその無理難題が達成されることは「自分が言ったことが“無理”ではなかったこと」が証明された瞬間なので、あんなに苦虫を噛み潰したような顔になってしまうのかもしれませんね。


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