転がるイシあたま

医療系の雑談ブログです

61%を多いとみるか少ないとみるか

日韓対立「日本の責任」61% 韓国世論調査 日本製品の不買、67%が賛意」(日本経済新聞)

 記事では「61%も」「67%も」といったニュアンスですが、私は逆に「たった61%?」と感じました。これがかつての韓国だったら「100%」にはならないにしてもおそらく「90%」とか「95%」とかの“ホットな数字"になっていたのではないかな。韓国国民には「冷静な部分」が少し育ってきているのではないか、と私は期待を込めてこの数字を読みました。
 逆に、日本ではどうなんでしょう。「海軍レーダーや最高裁まで使って日本を挑発する韓国に対して、日本がきびしい反撃をするのは当然」に賛成する日本人が60%とか70%になっているのだったら、これは日本で「冷静ではなくなっている部分」が育っていることを意味していそうで、私はちょっと不安を感じます。
 実は私自身「反撃は当然」と一瞬思って、そういった自分に「歴史を忘れ、冷静さを失いつつあるのか?」と戸惑いを感じたものですから。



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第二の天安門広場はあるか?

 「デモ隊がガラス粉々に破壊 香港議会に突入へ(19/07/01)」(ANNnewsCH/youtube)

 「抗議」がとうとう「暴力」になってしまいました。これは介入のための絶好の口実を中国政府に与えることになりかねない、と私は危惧しています。「治安回復」「安全確保」「人々の保護」のために、「警察では不十分」と中国政府としては人民解放軍を送り込んで弾圧をしたいところでしょう。つまり第二の天安門広場です。
 ただ、天安門事件とは違って、国際的に“衆人環視"の状態だから、うっかり手は出せないはず(チベットのように“誰も見ていない"ところでは好き放題できますが)。
 いや、とりあえずやることはやって、あとは時間に任せる、という手もありますね。50年くらい経ったら、みんなすっかり忘れているんじゃないです?
 たとえば「プラハの春(チェコ事件)」とか「ハンガリー動乱」なんか、当事者以外はみんなもうきれいに忘れているでしょ? だったら中国政府としては、賭けに出る可能性もあり得るでしょうね。


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まだ最高裁がある

ハンセン病家族訴訟 国の責任認め初の判決 熊本地裁」(毎日新聞)

 「国の責任」に関しての判断を病的なくらい忌避する最高裁ですから、この判決も将来きれいにひっくり返されたりして(苦笑)。「我々の責任」だったら通ったかもしれませんが。


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昭和頭の政治家

「子ども最低3人産んで」=自民・桜田氏が発言」(時事)

》誰かを傷つけたりする意図はなかった

 あまりに当たり前で、わざわざ口に出す必要がない言葉です。だって「誰かを傷つけたりする意図」があっての行動ならば、それは犯罪行為でしょ? わざわざ「私は犯罪を犯すつもりはなかった」なんて当然のことを言う必要はないのです。
 政治家が口に出すべきは「どうすれば人が安心して子供を産み育てることができるように社会を整備するか」の方策。それが言えずそのかわりに「3人以上産め」と言うのは、頭の中が「昭和の意識のまま凝り固まっている」ことを意味するのでしょうね。
 まあ、「昭和頭の政治家」は、桜田さんに限定されるものではなさそうですが。それとも「『三丁目の夕日』の政治家」と“美しい"言い方をしましょうか?

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放置された「善意」

『川崎殺傷事件』お供え物が思わぬ物議「やるなとは言わないけれど…」」(excite)

 「哀悼の意」を何かもので表現したい、というのはもちろんわかるのですが、わかるのですが、あそこまで大量に「もの」があると、それは周辺への迷惑と、「処分」という問題を生んでしまいます。「気持ちを込めて拝むだけ」では不十分なのでしょうか?

 似た話で、広島の「折り鶴」があります。これも全国(あるいは全世界)から1年間に10トンの折り鶴が捧げられています。で、こちらも「人々の思い」が込められたものですから、あっさり「ゴミ」として処分するわけにはいきません。しかし、永久保存していると倉庫が溢れてしまいます(昔は永久保存されていたそうですが、倉庫の経費などが市の予算の中で無視できない金額になったそうです)。日本人が得意な「ものの供養」をして焼くことはできますが、「10トンの紙」を焼くのも大変です。
 そこでリサイクルして再生紙に、という活動をしているところがあります(*)。

*)NPOおりづる広島

 原爆ドームすぐそばのおりづるタワーの売店で見たことがありますが、実物はきれいです。様々な色紙の破片が散りばめられていて、その色のかけら自体がまるで抽象化された小さな千羽鶴が紙一面に舞っているように感じられます。
 この紙を見ると、善意もまたリサイクルや再生が可能なもののようです。
 事故や事件の現場に大量に積まれた献花やお供えの品にも、何か“生かす"方策があればいいのですが。善意が“放置"されているのは、もったいない。



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