転がるイシあたま

医療系の雑談ブログです

仕事の方が大切?

 いつもの、私が体験した実話をフィクション化したお話です。

 全館放送でドクターコールがかかったので病棟に駆けつけると、μさんが心肺停止状態となっていました。心肺蘇生でドクターとナースが群がっている状態だったので、私はその外側で情報整理をし、主治医の代理で家族への緊急連絡をすることにしました。
 ところが家族本人への電話が通じません。しかたなく職場へかけましたが「詳しいことは言えないけれど(まさか「奥さんが死にそうなので」なんて他人に軽々しく言えません)、とにかく緊急事態なので至急μさん(夫)に連絡を取りたい」と言っても、なんだか反応が鈍い。それでも「そちらの病院に電話するように連絡しておきます」ということで待つことにします。
 やっと電話が通じて事情を言うと「わかりました。すぐ行きます」ではなくて「すぐにはここを離れられないので、代わりの人間を手配してから、そちらに向かいます」とのこと。

 ここで「奥さんよりも仕事の方が大切なのか!」と頭が沸騰した人、ちょっと待って下さい。

 たとえば私が当直の時、こんな電話がかかってきたら、私が思うことは「すぐに行かなきゃ」と「当直医の代わりを手配しなきゃ」です。私が抜けたら病院は「当直医不在」となります。これはまずいのです(「まずい」と思わない人は、どこかに入院するとき「この病院ではときどき医者が不在になりますが、良いですか?」と聞かれたとき迷わず「全然かまいません」と言える人でしょうね。もっとも誰か個人が許してくれても法律と監督官庁が許してくれないのですが)。私が勤務する病院は良い病院で、もしもそんなときには、院長か副院長に直接電話したらその場でなんとかなる可能性が非常に高いのですが、それでもとにかく代理の医者が来るまで私は病院を離れることができません。で、代わりが来たのを確認して「お願いします」と深々と一礼してから駆けつけることになります。これは「どちらが大事か」ではなくて「そのように社会は構成されている」というお話です。
 μさん(夫)は当直中の医者ではありませんでしたが、似たような立場の人はこの世の中にたくさんいる、ということです。
 ちなみに、会社の人が「反応が鈍」かったのは、たぶん「交代要員が必要そうだな。誰から声をかけようか」と頭の中で瞬時に考え始めていたからでしょう。全国に名前が通った企業ですが、あそこは“ブラック"ではないんだな、という印象を得ました。


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移動する正常

 私が医者になった頃には、「高血圧の定義」は「160と95」でした。ちなみに「正常血圧」は「140/90以下」でその間は境界型高血圧。今より高い数字ですが、これは「血圧を下げる必要性のエビデンス」がまだ貯まっていなかったことと、「血圧を下げる薬」が利尿剤とβブロッカーくらいしかなかったことが主な理由でしょう。
 「脂質異常症」は、病気の名前自体が今と違っていて「高コレステロール血症」や「高脂血症」と呼ばれていました。正常値の境界は「総コレステロールが250」。ところが昭和の末期には「230」それがさらに「220」に下げられました。高血圧と事情は似ていて、「エビデンス」と「薬」がどちらも不足していたのが、「スタチン系」と呼ばれる薬が登場して確実にコレステロールを下げることができるようになったから、正常値も厳しくなったのではないか、と私は想像しています。ついでですが、昭和の頃にはまだLDLコレステロール(俗に言う悪玉コレステロール)の測定はまだ一般的ではなかったので総コレステロールが使われています。
 糖尿病も「正常値」は変遷しています。昭和の頃には面倒くさいGTT(糖負荷試験)をやってましたが、今ではもっとシンプルになりました。こちらもこれまた検査と治療薬の進歩(インスリンが動物由来から人型になった。内服薬もさまざまな新薬が登場した)が大きな影響を与えているように私には思えます。

 ということで、「エビデンス」と「薬」の進歩は、病気の定義さえ変えてしまうのです。病気と人間の関係は何も変わっていないはずなんですけどね。


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平家物語(5)巻之一「吾身栄花(わがみのえいか)」

 平家一門の“繁昌"ぶりが紹介されます。平清盛の息子や孫息子は次々出世、公卿は十六人、殿上人は三十人以上、諸国の受領などは六十人以上。娘八人もすべて良いところに縁づきます。たとえば平徳子は高倉天皇の中宮となり皇子(のちの安徳天皇)を産みます。
 日本は当時六十六箇国だったのですが、その半数以上が平家支配となっていたそうで、のちの豊臣家や徳川家の支配地(15%くらい?)よりもはるかに広大な土地を支配していたわけです。貴族よりも武士の世の中、は鎌倉幕府以前の平安末期にすでに平家が実現していたんですね。
 ちなみに「武家」の次に日本を支配していた勢力は、貴族か寺社か、どちらなんでしょう? 死後の安寧を願って貴族は寺社に土地を盛んに寄進していましたから、平安末期には土地支配に関しては「寺社>貴族」になっていた可能性があります。どちらにしても「平安の日本は貴族の世の中」というのは、平安末期に関してはちょっとした思い込みに過ぎないのかもしれません。

 「鱸」では出世魚のおかげ、「禿髪」では出家したおかげ、なんて言っていましたが、平清盛がこれだけ日本を実効支配したのには、相当な努力(や無理)もあったのではないか、と私は想像します。その権勢にあやかりたい、と「六波羅様」が流行したのを嗤うことはできないでしょう。20世紀の日本ではファンがアイドルのファッションを真似するのは普通のことだったし、21世紀の日本でも権力者に阿る「忖度」が流行しているのですから。



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ノーベル賞狂想曲

 ノーベル賞の“季節"です。日本人が授賞すると、いつものマスコミなどの狂想曲が大熱演されますが、それを見ながら私もいつもの疑問を抱えてしまいます。

 1)各社がばらばらにインタビューをする理由は?
 もちろん「自分の番組に出演して欲しい」という欲望が第一なのでしょう。だけど「受賞の知らせを聞いたとき、どんな気持ちでしたか?」「家族に何をどう伝えたいですか」などの“定番の質問"や「リチウム電池についての(たぶんWikipediaからの)付け焼き刃の知識の披露」などの自己アピールなどは、すべての局で延々と繰り返す必要はないわけです。そういったものは“代表質問"のようなものですませておいて「これこそ他社にはできない自分たちだけのオリジナルの質問」というものだけを各局ではぶつければ良いはず。それをしないのは、なぜ?

 2)そこまですごい人なのだったら、これまでに国内で高く評価していた?
 私の理解では「ノーベル賞を受賞したからすごい人だ」なのではなくて「すごい人だからノーベル賞を受賞した」です。だったらこれまでに国内で、たとえばどのくらいの「賞」を授けて“評価"していたのかな? まさか今からごそごそと(昔の序列で勲○等の上の方で)叙勲したりして後付けで「日本では高い評価を受けていた人です」なんて主張するのではないですよね?


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働き方改革とつながらない権利

 「働き方改革」を謳っていながら、休日に突然仕事のメールが来て休みを潰して仕事をさせられるブラックな企業はまだまだあるようです。だから「つながらない権利」が注目されるわけですが、つながっている場合にも「仕事をしたらその分時間外手当をきちんと支払う」「仕事をさせなくてもつながっていること自体(医者の世界だったら「オンコール」と呼びます)に精神的に負担を掛けていることに対してきちんと支払う」のだったら、私は半分くらいは許して良い気持ちにはなります。「休みを潰して仕事をしろ。でも休みの時間だから時間外手当は支払わない」なんてケチな根性と二枚舌が許せないので。

 医者の場合、残念ながら「つながらない権利」はなかなか主張しにくい。私自身医者になってから40年近く、ずっと「つながっている」状態を維持しています。だけど……

 ここからは過去に経験した実話をフィクション化したお話です。

 放射線室に入って検査をしていると、ポケットで電話が鳴りました。放射線を止め、防護衣に隙間を空けて電話機を取り出して耳に当てると「患者さんに深爪をして出血をしました。すぐ来て下さい」。「今検査中だから、これがすんだら上がります」と返事をして数分後、また電話が鳴ります。また放射線を止め、防護衣に隙間を空けて電話機を取り出して耳に当てると「待ってるんですけど、検査はいつ頃終わりますか?」。
 こんなとき、私は医者にも「つながらない権利」が欲しくなります。


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